雪丸の京都散歩2

雪丸号(自転車)に乗ってちょっとディープな京都をご紹介します

2019年11月

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急がば回れ・・・です

先回ご紹介した明智左馬之介湖水渡りで
琵琶湖文化館前の「明智左馬之介湖水渡りの碑」がありました
そこから湖岸沿いに歩いていくと常夜燈があります
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「石場の常夜燈」です
見えてきました 目立ちますね

石場と対岸の矢橋間の渡し船の灯台として、幕末の弘化二年(1845)に
大津・京・大坂などの船仲間によって建立されました
「もののふの やばせの舟は 早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」
この和歌を詠んだのは、一般には室町時代の連歌師宗長と「醒睡笑」に
紹介されています

「もののふ」は武士 「やばせ」は矢橋 「長橋」は唐橋です
東海道を京都に上るときに草津宿から琵琶湖に出て矢橋から石場まで
船を利用した方が 陸路で瀬田の唐橋を渡って行くより近くて早いのですが
琵琶湖を船で行くのは強風で出航できなかったり 危険がある
それよりは遠回りになるが陸路を行った方が確実で結局早い・・・
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          (Google マップ)
このことから「急がば回れ」という諺になったと言われています
石場の常夜燈が東海道をショートカットした航路の常夜燈
急がば回れの常夜燈ですね

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近江八景の一つ
歌川広重の矢橋帰帆(やばせのきはん)保永堂版
真帆ひきて 八橋に帰る 船は今 打出の浜を あとの追風

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花崗岩でできた高さ8.4mの常夜燈 堂々とした常夜燈です
たまたま この日は、風が強く 止めてあった雪丸ZERO号(自転車)が倒れました
叡山おろしの強風を体験しました・・・この風だと昔の帆掛け船の渡しは
危険だったでしょうね

昔は東海道沿いの大津警察署裏あたりにありましたが
埋め立てにより 昭和43年、県立琵琶湖文化館前に移されます
そして平成17年に現地に再度移設されました
常夜燈も旅をするのですね(笑)

邪鬼が支えています
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北西角                    北東角
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南東角                    南西角

文字がたくさん刻んであります
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かなり読み難くなっています
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発起 鍵屋傅兵衛  舩持中      石工棟梁  近江屋源兵衛・・・

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京新町四條上・・・
亀屋清次 瀧川萬助の名前がありました
京都で亀屋は和菓子屋さんか・・・
亀屋清永は、清浄歓喜団で有名ですが東大路沿い


亀屋清次・・・ありました 以前は
通称亀清 江戸時代に洲浜で有名な店だったとのこと、

京都市観光協会のHPに「京の用語集」で「州浜」の説明があります
そのなかで亀屋清次が出てきます

大豆の粉と麦芽飴を練った素朴な菓子。1595年(文禄4)亀屋清次が考案。
1657年(明暦3)丸太町通南側の植村義次がつくった洲浜は、蓬来山をかたどる
洲浜台に由来するという。
江戸時代の花形菓子で来日した朝鮮通信使の接待にも使われた記録も。
13代目当主は現代人向き洲浜を相次ぎ創作。

お急ぎの際は・・・・・・「急がば回れ」で・・・
石場の常夜燈を思い出してくださいね・・・そして州浜もね(笑)

今回のオマケです
上の「州浜」の説明をご覧になって??と思われた方も・・・
そうですね 州浜で有名な「植村義次」は閉店しました
ご主人が体を壊されてやむなく350年の歴史に幕を閉じたと聞いていました


しかし、2018年11月1日に植村義次があった同じ場所でオープン
同じレシピのあの州浜が味わえる・・・
知りませんでした もうオープンして1年になるのですね
お店の前を通ったとき新しいお店がオープンしたのは
分かっていましたが まさか同じ味で・・・(植村義次のご主人がレシピを指導)

これは行かなければなりませんね(笑)

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明智左馬之介湖水渡り

今回ご紹介するブログの始まりは・・・
北野天満宮絵馬堂に奉納されている一枚の絵(絵馬)

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これです ご覧になったことありますか?
初めは、情けないことに
何の絵か全くわかりませんでした


ただ、中村鴈次郎  安田彦次郎両氏の名前は知っていましたので
どんな絵か興味が湧きました
それと120年経っているのに(明治三十年)鮮やかな水色が印象的でした


どうやら「明智左馬之介の湖水渡り」と判明
明智左馬之介って誰でしょうか?

天文5年(1536年)、明智光秀の家臣・三宅秀朝の子として生まれる。
最初は三宅弥平次という名前だった
後に光秀の長女と婚姻し「明智弥平次」に改姓し、その後「明智秀満」を名乗った
左馬之介は、通称


天正10年(1582年)の「本能寺の変」では、
明智軍の先鋒として本能寺を攻撃したとのことです


明智光秀の娘婿という立場でしたが
本能寺から山崎の戦へと進んで行く・・・


天正十年(1582)6月2日、明智光秀は、織田信長を京都本能寺に討ちましたが、
13日、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、逃げる途中、京都山科の小栗栖の藪で、
土民に囲まれ、敢え無い最期を遂げたと言われています。


その深夜、光秀の悲報を受けとった光秀の娘婿、明智秀満は占拠していた安土城から、
翌日早朝、坂本城へ陸路で出陣しました。
秀満は、途中瀬田唐橋を守る織田方の武将山岡氏に進路を阻まれますが、
それを振り切って、大津へ向かいました。


大津を守っていたのは、秀吉軍の先鋒、勇猛でならす堀秀政でした。
その軍に真っ向から対決を挑んだ秀満軍は、多くの手勢を失い、
窮地にたたされましたが、秀満は、なんとも大胆に打出浜から馬を琵琶湖に乗り入れました。
これが後世に名をはせる「明智左馬之介の湖水渡り」です。


そして、なんとか唐崎に上陸した秀満は、めでたく坂本城にたどり着きましたが、
堀秀政の軍は6月15日、坂本城を攻めて、激戦のすえ、
あの秀麗な天主のあった坂本城は落城しました。
秀満は、自分の妻を刺し殺し、腹を十字にかっさばいて、
火薬に火を付け、天主もろとも吹っ飛んでいきました。
(公益社団法人びわ湖大津観光協会HPより)

琵琶湖を馬で渡った 
それではどんな感じだったか現地に行ってみましょう


堀秀政に阻まれて琵琶湖に入った場所は
大津市打出浜です
「なぎさ公園」の歩道沿いに建つ「琵琶湖文化館」
その前に「明智左馬之介湖水渡りの碑」があります
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明智左馬之介湖水渡りの碑
後の建物が琵琶湖文化館です
残念ながら現在休館中とのことです
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「なんとか唐崎に上陸した秀満は、めでたく坂本城にたどり着き」とありましたが
柳が崎という説もあります

どちらなんでしょうか
柳が崎には「明智左馬之介駒止の松」と石碑がありますが・・・
地図で確認しますと
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①明智左馬之介湖水渡りの碑~柳が崎 約 2km

②明智左馬之介湖水渡りの碑~唐崎 約4km
柳が崎の方がより現実的でしょうか?

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柳が崎にある「びわ湖大津館」
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湖畔から見た「びわ湖大津館」

柳が崎から打出浜の琵琶湖文化館を見ると
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こんな感じです 遠いです
びわ湖大津館の少し奥の柳が崎湖畔公園に「明智左馬之介駒止の松」が
あります
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明智左馬之介駒止の松
松に馬を繋ぎ止めたという・・・繋ぎとめて一休みしたのか


唐崎にしても柳が崎にしても
その前に堀秀政は、今に沈むか…と眺めていたとのことですが
渡り切るまでずーっと見ていたの?

大きな川も疎水(笑)もなかったので
泳いで渡るより陸路の堀秀政の方が早いでしょう

それとも・・・
あまりの奇抜な行動と勇気に明智左馬之介と大鹿毛に敬意を払って
坂本城に入るまで見届けて・・・
それから坂本城を攻めた
ということでどうでしょうか お願いいたします(笑)


最初にご紹介した北野天満宮の絵馬堂に奉納された絵馬
秀満の湖水渡り伝説は江戸時代になると、講談や歌舞伎、浮世絵などの題材に
取り上げられるようになったとのことですので
中村鴈次郎も南座で演じた際 公演成功祈願か成功したお礼に絵馬を奉納したのでしょうね


北野天満宮にお越しの際は、是非絵馬堂によって明智左馬之介の絵馬をご覧ください
また、大津にお越しの際は琵琶湖文化館の前に立って琵琶湖を眺めてください

今回のオマケです
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江戸時代中期に成立した逸話集 常山紀談に記載されています
(国立国会図書館デジタルコレクションより抜粋)

来年のNHK大河ドラマは「麒麟がくる」明智光秀が主役
今年の大河ドラマは あまりにも※◆▼!?だったので
巻き返しに来るものと想像されます
明智左馬之介湖水渡りのシーンがあるやもしれませんね

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