先回ご紹介した明智左馬之介湖水渡りで
琵琶湖文化館前の「明智左馬之介湖水渡りの碑」がありました
そこから湖岸沿いに歩いていくと常夜燈があります
「石場の常夜燈」です
見えてきました 目立ちますね
石場と対岸の矢橋間の渡し船の灯台として、幕末の弘化二年(1845)に
大津・京・大坂などの船仲間によって建立されました
「もののふの やばせの舟は 早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」
この和歌を詠んだのは、一般には室町時代の連歌師宗長と「醒睡笑」に
紹介されています
「もののふ」は武士 「やばせ」は矢橋 「長橋」は唐橋です
東海道を京都に上るときに草津宿から琵琶湖に出て矢橋から石場まで
船を利用した方が 陸路で瀬田の唐橋を渡って行くより近くて早いのですが
琵琶湖を船で行くのは強風で出航できなかったり 危険がある
それよりは遠回りになるが陸路を行った方が確実で結局早い・・・
(Google マップ)
このことから「急がば回れ」という諺になったと言われています
石場の常夜燈が東海道をショートカットした航路の常夜燈
急がば回れの常夜燈ですね
近江八景の一つ
歌川広重の矢橋帰帆(やばせのきはん)保永堂版
真帆ひきて 八橋に帰る 船は今 打出の浜を あとの追風
花崗岩でできた高さ8.4mの常夜燈 堂々とした常夜燈です
たまたま この日は、風が強く 止めてあった雪丸ZERO号(自転車)が倒れました
叡山おろしの強風を体験しました・・・この風だと昔の帆掛け船の渡しは
危険だったでしょうね
昔は東海道沿いの大津警察署裏あたりにありましたが
埋め立てにより 昭和43年、県立琵琶湖文化館前に移されます
そして平成17年に現地に再度移設されました
常夜燈も旅をするのですね(笑)
邪鬼が支えています
北西角 北東角
南東角 南西角
文字がたくさん刻んであります
かなり読み難くなっています
発起 鍵屋傅兵衛 舩持中 石工棟梁 近江屋源兵衛・・・
京新町四條上・・・
亀屋清次 瀧川萬助の名前がありました
京都で亀屋は和菓子屋さんか・・・
亀屋清永は、清浄歓喜団で有名ですが東大路沿い
亀屋清次・・・ありました 以前は
通称亀清 江戸時代に洲浜で有名な店だったとのこと、
京都市観光協会のHPに「京の用語集」で「州浜」の説明があります
そのなかで亀屋清次が出てきます
大豆の粉と麦芽飴を練った素朴な菓子。1595年(文禄4)亀屋清次が考案。
1657年(明暦3)丸太町通南側の植村義次がつくった洲浜は、蓬来山をかたどる
洲浜台に由来するという。
江戸時代の花形菓子で来日した朝鮮通信使の接待にも使われた記録も。
13代目当主は現代人向き洲浜を相次ぎ創作。
お急ぎの際は・・・・・・「急がば回れ」で・・・
石場の常夜燈を思い出してくださいね・・・そして州浜もね(笑)
今回のオマケです
上の「州浜」の説明をご覧になって??と思われた方も・・・
そうですね 州浜で有名な「植村義次」は閉店しました
ご主人が体を壊されてやむなく350年の歴史に幕を閉じたと聞いていました
しかし、2018年11月1日に植村義次があった同じ場所でオープン
同じレシピのあの州浜が味わえる・・・
知りませんでした もうオープンして1年になるのですね
お店の前を通ったとき新しいお店がオープンしたのは
分かっていましたが まさか同じ味で・・・(植村義次のご主人がレシピを指導)
これは行かなければなりませんね(笑)
https://line.me/S/sticker/1090260