雪丸の京都散歩2

雪丸号(自転車)に乗ってちょっとディープな京都をご紹介します

2017年10月

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時代祭の中止

時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、
明治28年に始まりました。

明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として
平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、
まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。


その意志は、京都の誕生日10月22日に
「一目で京の都の歴史と文化が理解できるものを」
「京都をおいて他にはまねのできないものを」というもので、
京都人の心意気と誇りがふんだんに織り込まれています
(平安神宮HPより)


今年の時代祭が中止になりました

理由は、台風21号が近畿地方に接近することが見込まれることから


普通は、22日が雨天の場合は23日に順延する予定なのですが
両日とも天候不順の見込みなので中止


いままで中止になったことは・・・・・
1895年に始まって以来、関東大震災や戦時下での中止になったことはあります
しかし今回のように天候不良での中止は初めて


時代祭が中止となると・・・
同日の鞍馬の火祭はどうなるのか


由岐神社のフェイスブックによりますと
「明日台風接近により雨予報ですが、通常通り火祭を執り行います。
雨風がきつく、祭の進行に支障をきたすと判断した場合には、
式次第に変更を加えることがありますのでご注意ください。

叡山電鉄からも運行に関するアナウンスが出ておりますので、ご確認の上ご注意ください。」

こちらは行われるようですね


もう一つ忘れてはならないことが・・・
第48回衆議院議員総選挙です
お気を付けて・・・です

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maiko no  nanachan1

墓道標 その②

さて、その②です


今回は、30歩登り 右25歩です


文殊堂道のほぼ中央に左手にのびる紫雲石道に入ると・・・
北中央東西墓道の入り口にこの道標があります
hakadohyo2-annai

hakadohyo2-30-25up
「30歩登り 右25歩」

それでは道標がおっしゃるとおり進んでみましょう
hakadohyo2-hakamichi01
いち・にい・さん・よん歩と・・・・(笑)
haka-d-yajirushi
30歩来ました・・・・青い矢印付近です
(上から見ています)
う~んここを右でいいのでしょうか
青い矢印方面を見ると・・・
hakadohyo2-hakamichiao
青い矢印方面

少し上の赤い矢印方面を見ると・・・・
hakadohyo2-hakamichiaka
きれいに石畳になっていてこちらのほうが道らしい

結論からいいますと・・・・どちらでもOKです(笑)

hakadohyo2-hakadesu
對山日根𡌛先生墓・・到着しました
どう読むのでしょうか?


對は対の旧字体

𡌛は野の異体字

対山日根野先生墓となります
たいざんひねのせんせい・・・

対山日根野先生って誰でしょうか?.

日根 対山(ひね たいざん、文化10年(1813年) - 明治2年3月13日(1869年4月24日))は、
幕末の文人画家。
日根野とも呼ばれる。

名を盛長、字を成言・小年、対山のほかに茅海・錦林子・同楽園・雲煙楼・酔墨庵などと号した。
和泉国日根郡(現在の大阪府泉佐野市)に生まれる
(ウィキペディアより)

泉佐野市ですかぁ

日根対山(ひねたいざん)は、江戸時代末に京都で活躍した市内出身の画家です。
文化10年(1813)に和泉国日根郡中庄村湊(現、泉佐野市湊)に、
日根又左衛門の三男(次男ともいわれています)として生まれました。
 
幼いころから画才があり、岸和田にいた桃田栄雲について画を学びました。
また、同じ村に住んでおり、幼い頃から対山の画才を見いだしていた廻船問屋であり、
湊の役人であった里井浮丘が、対山に自分の所蔵する書画を見せ、
自分の友人である岡田半江などの画家の人たちを対山に引き合わせ、
絵を学ばせたといわれています。
 
対山はじめは「台山」と号していましたが、28歳で「対山」に改名しました。
当時の対山の描いた絵は写生的な絵が多いですが、
30歳から文人画派に転向したようです。
その画風は、対山が57歳で亡くなるまで大きな変化はみられませんが、
41歳までは比較的精細な文人画の作品が多く、描いた作品におしていた印章(いんしょう)には、
「中原誠(盛)」印を使用しているものが多いです。
その後は作品数が増えるものの精細な作品が少なくなります。
印章も「山静似太古」「日長如小年」というものがよく使われるようになります。
 
対山は湊に住んでいましたが、対山が24歳の時に京都へ移住したと思われます。
その後何度か京都市内で転居をしましたが、亡くなるまで京都に住んでおり、
明治2(1869)年3月13日57才で亡くなりました。
墓は京都市内の黒谷の金戒光明寺の山内の墓地にあります。
 
弟子には猪瀬東寧、野口小蘋、跡見花渓、中丸金峯といった画家などがいます。

泉佐野市HPより

最初の画像に もう一つ・・左下に「庸軒翁」とあります
藤村庸軒ですね
文殊塔の北側にお墓はあります

この道から行けるようです
hakadohyo2-yoken
藤村庸軒って・・・
(ふじむら ようけん、慶長18年(1613年) - 元禄12年9月18日(1699年10月10日))は、
日本の茶匠。千宗旦の直弟子であり、宗旦四天王の一人。

表千家の流れを汲む、庸軒流茶道の開祖。
漢詩人としても知られる。名は政直(のちに当直)、
俗称は十二屋源兵衛。微翁、反古庵と号す


黒谷金戒光明寺の塔頭の1つで西翁院には
庸軒好みとして知られている茶室・澱看席(よどみのせき)が
あります(三畳道安囲い)  


今回 墓道標のとおり 歩いてみましたが
正確にお墓にたどり着くことができました
当たり前といえば当たり前ですが・・・(笑)

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ずいき神輿 2017

今回は、ずいき神輿のご紹介です


ずいき神輿は ずいき祭に登場します


ずいき祭とは・・・・
北野天満宮の10月の例祭です

京都の代表的な秋祭として知られるずいき祭は、村上天皇の御代
(天慶9年~康保4年・西暦946~967)にはじまると伝えられ
御祭神菅原道真公が大宰府で彫られた木像を随行の
西ノ京の神人(じにん)が持ち帰りお祀りし
秋の収穫時に野菜や穀物をお供えしたのが始まりという。


今日では、北野の神を 10月1日から10月4日まで西ノ京の
御旅所へお迎えして「ずいき御輿」を奉り、
本年の収穫に感謝の誠心を捧げる
(北野天満宮HPより)

zui-ofuda

ずいき神輿とは・・・・
一般のお神輿とはちょっと違います


西ノ京の神人により、ずいき御輿という野菜、乾物等で趣向をこらした
絢欄華美な御輿が御旅所に奉られ、10月4日に巡行する。

これはかって北野祭(例祭)にお供えとして奉られた野菜を、
慶長の頃から一基の大型御輿として作り飾りつけるようになり、
屋根はずいき芋(里芋の茎〕で葺き、神輿の各部はすき間もなく穀物や
蔬菜(そさい)・湯葉(ゆば)・麩(ふ)などの乾物類で覆われている。
 
四隅にさがる見事な瓔珞(ようらく)は乾燥した金盞花(きんせんか)の
花をびっしりとつけたもので、御輿の四面には、謡曲や昔話から採った
人物の造り物などが取り付けられている。
江戸時代には八基ほどが各町から出ていたが、
今日では西ノ京の2基のみとなっている
(北野天満宮HPより)

御旅所に行きましょう
zui-otabisyo
10月4日 ずいき祭の還幸祭に御旅所へ

野菜や乾物で飾り付けられたお神輿?
さっそく見てみましょう
zui-omikoshi
これです ずいき神輿・・・・
野菜で出来たお神輿

zui-ushi
天満宮といえば・・牛ですね

屋根にずいき(サトイモの葉柄)を2段
上段は赤ずいき 下段は白ずいき

zui-01syogi
欄間には「天才二人」
これもトウモロコシの皮等で作られています
今年の流行・歴史等・・・お題になります
毎年変わります
これを楽しみに見に来ている方も多くいます
他の面にもあります
zui-02yajyu
美女と野獣

zui-03rouka
刃傷松の廊下

zui-04urashima
浦島太郎と伊勢エビ

zui-yoraku
四隅の瓔珞(ようらく)
色がきれいですね

こちらは子供神輿です
ずいき神輿の小さいバージョンですね
zui-komikoshi
子供神輿の飾り付けは・・子供らしく・・・
みなさんお分かりになりますでしょうか

zui-komikoshi04zui-komikoshi01

zui-komikoshi03zui-komikoshi02

御旅所内では巡行の準備が進んでいます
松鉾です
zui-matsuhoko01

zui-matsuhokoura
やはり・・・インシュロックは便利なものです

さて、行列の出発です


zui-matsuhoko
松鉾・・・後ろの松とかぶりました(笑)

zui-baketsu
行列には 馬・牛が登場します
そのためこちらは必需品でございます
サッと処理します(笑)


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墓道標・・です

今回の場所は、黒谷さん・・・・金戒光明寺
その墓所になります


ここの墓地(墓所)は とにかく広い
山の斜面を利用した墓所

極楽橋を渡って文殊堂道(石段)を登る 行く先には三重塔(文殊塔)

三重塔の前に立つと眼下に墓地が広がり
山門の向こうには京都市街が広がる
hakadohyo-ganka
ここから見る景色が好きです
石段に腰を下ろしてぼんやり眺める
特に夕陽が素晴らしく良い・・・


季節は特に問わないがあえて言うのなら・・・
今の季節 去り行く夏に迎える秋


秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、
烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、
飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。

まさに枕草子の世界です

オレンジ色が段々赤く染まって来てやがて藍色に変わる
そして夜に・・・・
忘れていました ここは墓地です 暗くなる前に帰りましょう

すっかり話がそれてしまいました
広大な墓地
そこから一つのお墓を探し出すにはどうしたらいいでしょうか


最近は、GPSデータがあればかなりの確率でお墓を探し出せる
昔はどうしていたのでしょうか
やはり道しるべ・・道標・看板でしょうね

しかし、看板にどう表現したらいいのか

墓道標・・・と呼びましょう


個人の方はご自分の家のお墓はわかりますので
問題はありませんが

有名な方・先生と呼ばれた方等のお墓にお参りに来る人
マイラーにとってお墓探しは大変です

そこで墓道標の設置となります
黒谷さんの墓道標を見ていきましょう

hakadohyo-hashi
メインといえる極楽橋から三重塔への石段の道を
中心に見ましょう

hakadohyo-aidu
会津墓地への案内道標は多くあります(13本)
金戒光明寺といえば会津ですからね

以前ご紹介しました
http://yukimarukyotosampo.blog.jp/archives/1002090054.html
hakadohyo-afuro
TVに取り上げられてから
すっかり有名になりました
五劫思惟阿弥陀如来・・・看板ができました

hakadohyo-taiga
大河効果?

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石段を登っていきます

hakadohyo-shiunseki
志うん石
この上 半丁 左入り

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山崎闇斎・・・文殊塔東北 二十間

hakadohyo-takeuchi1hakadohyo-takeuchiup
竹内栖鳳先生墓
文殊塔前
竹内栖鳳先生墓  左へ七十歩

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あたらしくメートル表示です

hakadohyo-4hon
一番左
是より北
 赤松小三郎先生墓所   二十間
(墓道標 その②で・・)

hakadohyo-kojin1hakadohyo-kojin2
個人の墓道標

hakadohyo-morita
森田竹阿彌翁の墓道標
竹器界之恩人・・とのこと

hakadohyo-3jyu
文殊塔 三重塔です

それでは 試してみましょう
先ほどの文殊塔前
竹内栖鳳先生墓  左へ七十歩
hakadohyo-michi
歩いてみました
すると69歩で先生のお墓に到着
hakadohyo-takeuchihaka
墓道標のとおり正確にお墓に
たどり着くことができました
当たり前といえば当たり前ですが・・・(笑)


墓道標 その②に続きます

https://line.me/S/sticker/1090260
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