雪丸の京都散歩2

雪丸号(自転車)に乗ってちょっとディープな京都をご紹介します

2012年12月

このブログに掲載されている文章・写真・画像・イラストなどの無断転載を禁じます。

京の「私」と「公」

今年もいよいよ押し迫ってきました 今年の締めは、何をご紹介したらいいのか?
色々悩みましたが 「私と公」にします



まず「私」から・・・・・路上にある「私」です

watash-1st

これです(笑) 路上の私・・・・・・
位置DATA 35/01/31.2  135/46/14.9  ±4m 日本測地系

何でしょうか?こんなもの路上に置いてもいいのでしょうか?
「私」はどう読む・・・・「わたし」・・・「わたい」・・・「わて」・・・やはり正式には「うち」でしょうか(京都)

初めて見たときは???って感じ・・・なんでしょうか・・・・どこに聞いたら正体が分かるのか?


路面に向ってカシャカシャ写真を撮っていると 1人のおっちゃんがじっとこちらを見ている
このパターンは、マンホールや仁丹住所表示板を撮影しているときにもよくあります

こういった場合、時間がなく次に行かなければならないときは 軽く会釈して早々に立ち去る

こちらが何か分からないことがあり聞いてみたいときは
地図を見つつ「おはようございます」と挨拶をする

すると80㌫くらいの確率で「なにやっているの?」と・・・・・・
この場合は「なにやっているの?」=「私に聞きなさい」です(笑)

「私」の蓋の場合は、まさにこのパターンでした
「私」の説明をしてくださいました

このとき最大のリスクは、話が長くなるということでしょうか(笑)


下水道に関係するもので 井戸を使用してその水を下水に
流す場合は「私」と表示しなければならない
だから井戸がある家に「私」がある・・・・・・・との説明をいただきました

ってことは井戸水を使用してその水を流すときの枡の蓋に「私」が必要なのか

下水のことは・・・・調べてみました
京都市上下水道局 総務課のHP Q&Aにありました


Q3 水道水の他に井戸水を使用する場合,何か料金を支払わなければならないのでしょうか?

A  井戸水,山の湧き水や河川の水,貯留した雨水,工事により発生した湧き水等,
   水道水以外の水を公共下水道に流される場合は,届出をしていただき,排出量に応じた
   下水道使用料をお支払いいただく必要があります。

   詳しい説明によると
   水道水以外の水(地下水等)を使用されているお客さまへ
   以下の場合は,京都市公共下水道事業条例第10条の定めにより,届出をしていただき,
   排出量に応じた下水道使用料をお支払いいただく必要があります。

   ※下水道使用料の支払いを免れようとした場合等には,過料が科せられることがあります。

   〇井戸をご使用されているお客さまで,井戸水を公共下水道に流される場合(手動式の井戸を除く)

   〇マンション,ビル等の建設工事により湧水が発生し,この湧水を公共下水道に流される場合

   〇マンション,ビル等を建設後,地下の湧水槽に溜まった湧水を公共下水道に流される場合

   〇雨水,山の湧き水,河川の水等,水道水以外の水を,利用目的で貯留し,
     トイレ等に利用することで公共下水道に流される場合
                                      (京都市上下水道局 総務課のHPより)

なるほど「水道水以外の水を公共下水道に流される」・・・・ここがポイントのようです
井戸は、個人で掘ったものですから「私」なのですね


ところで「私」のある場所ですが わりと集まっています
第1グループは、鉾街です
          西洞院仏光寺の交差点を中心として風早町・木賊山町・菅大臣町付近に

第2グループは、堀川中立売交差点の北西地域 晴明神社西付近

第3グループは、御苑(御所)の東の寺町通

第4グループは、京都市学校歴史博物館前

あとは、単品(笑)で西本願寺と上御霊神社付近に


一番「私」が見やすいのは、第3グループです

watashi-map1

(Google mapより)
寺町通で今出川通を下がったところ 道が広くなったところです
ここには「私」が6枚あります
京都市内で「私」の密度が高いところです
京都出町郵便局側(東側)に4枚 反対の西側に2枚です

初めて「私」を見た(発見)場所です



「私」を探すようになってから何年か経ちますが 

「私」の違った書体があるのは どなたかの写真を見て知っていたが位置DATAが
なかったので場所は分からなかった

しかし、発見は偶然&突然やってくる
2年前の祇園祭宵山 四条河原町の交差点・・・・・18時すぎ祇園方面に向って歩いていた
いや、人が多すぎてまともに歩けない状態 しかたなく1本南の綾小路通を東へ
冨小路通を過ぎたら突然の出会いが足元に・・・・・・異書体の「私」の登場だった(笑)

watashi-isyota

位置DATAは 34/59/57.6  135/46/04.2 ±4m 日本測地系

jin-sioya

綾小路通冨小路の十字路の東南角二階にある仁丹看板から東に
18m北側にあります

その他、第4グループが同じ書体です

watash-2syoutai

左の「私」が一般的です   右の「私」は少数派です

上洛して雪丸とともにウロウロしていますが(笑) 「私」をコレクションしようと常に心掛けています
今までに確認できたのは29枚の「私」
まだまだ京都市内にあるでしょうね 私の「私」探しは続きます(笑)



私の次は公(おおやけ)です

公(おおやけ)といっても「国」です

場所は、左京区岩倉・・・・宝ヶ池といったほうが分かりやすいでしょうか

kuni-kokuritsu

地下鉄 国際会館駅下車 公益財団法人 国立京都国際会館前の路上です

kuni-manhoru

「国」のグランドマンホールの蓋です この付近の路上に3枚あります

kuni-manhoru-1

地下鉄 国際会館駅 地下連絡通路入口前
位置DATAは 35/03/34.9  135/47/09.1 ±4m 日本測地系

しかし、なんで「国」なのでしょうか?
国立京都国際会館・・・・・・国立だから・・・・・うーんどうでしょう
日本で最初の国立の国際会議場を設立した記念に「国」のグランドマンホールの蓋を設置した
と、いうことでどうでしょうか


「私」と「国」・・・機会がありましたらご覧下さい





今回のオマケです
kotoshikanji

「雪丸の京都散歩」 今年もご愛読ありがとうございました! 

来年も 雪丸Ⅴとともに「ちょっとディープな京都」をご紹介していきます
2013年もよろしくお願いいたします。

それでは どうぞよいお年をお迎え下さい

寿延寺(じゅえんじ)・・・洗い地蔵

今回は、寿延寺です

場所は、東山区大黒町通松原下ル北御門町

観光で訪れる方は、かなり少ないと思います

ちょっと分かりにくい場所ですが・・・・
それでは行ってみましょう

スタートは、四条大橋の交差点(東詰) 南座です
川端通を南に進みましょう
まもなく団栗通(団栗橋)です そして松原通(松原橋)を左に行きます

花街・宮川町です 大和大路の交差点の手前の通りを右に曲がります
この通が大黒通です 30m進むと少しだけ道が広くなります
右手に門が見えてきます 寿延寺に到着です


実は、この大黒通・・・・以前ご紹介した(2010年8月)本願寺水道が走っています


arai-mon
寿延寺の門です


arai-kawara
瓦には「寿」の文字


門から本堂まで約40mの石畳が続きます
その途中に洗い地蔵さまが・・・いや浄行菩薩さまが祀られています
洗い地蔵は通称です

浄行菩薩・・・・お釈迦さまの愛弟子四菩薩の一人で風・火・水・地の
うち「水」担当する菩薩様で 水徳(水の力)をもって人々の体の痛みや
心の悩みを洗い流し清める菩薩様といわれています

arai-jizou-1



arai-jizou
浄行菩薩(洗い地蔵)さまです
身体の悪いところと同じ場所をゴシゴシと洗います
たわしは、用意されていますのでご安心してください



arai-hondo
寿延寺 本堂
釈迦如来・多宝如来が祀られています
そして左側に鬼子母神  右側に大黒天が祀られます


arai-hengaku
山号は興福山 日蓮宗

1616年酒造業村田家が下京区冨小路通高辻に日柔上人を開山に
迎えて開創したお寺です。
現在の場所には1655年に移転


付近に祇園・宮川町の花街や南座があったため芸舞妓さんや芸能人の
お参りで明治期から昭和の初期頃はたいへん賑わったとのことです

寿延寺に祀られる鬼子母神には、現在でも花街の女性の祈願が多いそうです

自分がおじゃましたときは 残念ながら花街の女性の姿は、みられませんでした
というより貸切状態でした
その代わりといってはなんですが しっかりゴシゴシ洗うことができました(笑)


みなさんも ぜひ訪れてみてください そしてゴシゴシ洗ってください
体の悪いところや心が癒されることでしょう・・・

京の迷子しるべ石

今年も残り2週間余になりました
大晦日からお正月には大勢の人が初詣に神社仏閣へ足を運びます
京都では 八坂神社・平安神宮・北野天満宮・・・・・・
除夜の鐘では 重さ約70トンもある知恩院・・・・独特な撞き方で毎年テレビ中継され
多数の人が寒い中訪れます
「国家安康」の鐘で有名な方広寺もいっぱいの人でしょうね
迷子さんも多くなるでしょうね・・・・・寒い中、一層心細くなります

そこで今回は、迷子しるべ石です

「迷子しるべ石」ってなんでしょうか
簡単に言いますと江戸時代に迷子の情報交換のための掲示板のようなものです

片側に  「迷子がいます 〇〇のような子供です」・・・・・・「志らする方」
反対側に 「子供を捜しています 〇〇が特徴です」・・・・・・「たずぬる方」

お互いに子供の特徴などの情報を公開して迷子の解決を
していこうとした分けです



全国的に「迷子しるべ石」は分布しているようです
主なものは、東京(江戸)に 一石橋迷子しらせ石標 浅草寺の迷子しるべ石があるようです(未訪問)

東海道桑名宿 春日神社の参道に しるべ石がありました


それでは、1000年以上 都であり続け(る)京都ではどうでしょうか
もちろんあります・・・・

人の集まるところ迷子あり・・・・・そしてしるべ石もありです


3本のしるべ石をご紹介します

最初は、八坂神社南楼門の外 鳥居の内側にあります


gekkahyojin
月下氷人石 (げっかひょうじんせき)といいます

「月下氷人・・・・・男女の縁をとりもつ人・仲人」
迷子の縁を取持つ・・・・ですね

以前は忠盛燈籠と同じ場所にあったと紹介されています
平成8年9月にこの場所にやって来たわけですが
植込みの中なので近づけない

裏面(西)は 京都フィールドミュージアムの解説でどうぞ

天保十年己亥初秋建之
去る庚寅年の頃より五穀の実のり少く丙申歳になつては
雨いたう降つゝき米価いよ@@【畳字記号】貴く是に因てよるへなき輩の
日々に餓かなしめる有さまを見るに忍かたけれは
心あらん人々と相議いて教諭所より
公に願ひ三条の河原に仮に救小家を造て養おき
病るには医薬をもあたえはた便よき方に場を分ちて
米銭を施ける事も全く
大御代の御仁恵と仰き奉る余に此後とてもかゝる事の
あらんには今後にまさりて施の行れん事をかしこくもこの
祇園の広前に額つきて共に祈り奉れるよしを
天保十年己亥霜月にかくは記し侍りぬ


gekka-l&r
南   尋方 宿坊 長吏
宝光院

北   教方 奇縁によりて世人の
   なけきを救はんとす

気持ちがよく表れていますね


2本目は、

浄土宗西山深草派総本山誓願寺前にあります
新京極通のたいへんにぎやかな場所ですね
しるべ石を建てるには最適なところでしょうか

迷子しるべ石
西   迷子みちしるへ
東   明治十五年九月建之 下京六組有志中
南   をしゆる方
北    さがす方


maigoshirube
現在は、残念ながら「さがす方」はよく見えません
本堂の本尊・阿弥陀如来さまはよく見えます
本堂へ自由に上ってお参りできますのでぜひお参りください
丈六の座像で大きい仏様です

猫さんがたくさんいます


最後の一本は、北野天満宮 松向軒の露地(庭)にあります
普段は閉まっていますので「奇縁冰人石」を見るには塀越しです
よく見えません・・・・・・・・


kienhyojin-soto
塀越しの「奇縁冰人石」

八坂神社の「月下氷人石」  誓願寺の「迷子しるべ石」そしてここの「奇縁冰人石」
名前が3本とも違っているというのもおもしろいですね

奇縁氷人石 (きえんひょうじんせき)の奇縁は
「奇縁・・・・思いもかけない不思議なめぐりあわせ・因縁」
めぐり合わせを取持つ・・・・という意味でしょうか

ところでこのお茶室「松向軒」 は、
豊臣秀吉公が北野天満宮で催した大茶会の折、細川三斎が設けたという
松向軒にあったところに建っているのが現在の茶室です。
本席は7畳半の台目床の広間です。


kienhyojin-syoko
毎月第2日曜日月釜
松向軒(しょうこうけん)保存会  
毎月 15日 (8月・12月は休会)
時間  9時~15時
臨時会費: 800円
このときは門が開いていますので 見せてもらってください

kienhyojin-syoko2



kienhyojin-naka
北西
奇縁冰人石
南東  〇政五壬午正月建之 米市   兵半
南西   たづぬる方
北東   をしゆる方 松栄坊

始めからここに建てられたと考えるのは無理がある
当初は、やはり北野天満宮の境内にあり参拝に来る人たちに向けての
奇縁氷人石であったのだろう

上の方が欠けてしまったので ここに持込んで露地の景色の一つにしたのでしょうか

迷子しるべ石は、全国にありますので あなたの街にもある可能性大です
捜してみてください

伏水街道・・・橋

今回は、伏見街道です
いや、街道というより「橋」の話です

伏見街道の橋といえは 「ああ、あの四つの橋」ね といわれるくらい
有名で良い感じの橋(親柱)です
皆さん色々なHPでご紹介されているのでUPすることはなかった

しかし、今年の9月ちょっと事情が変わった
友人と車で伏見稲荷に行ったときのことです 帰りは本町通(伏見街道)を北上して
第三橋を通過したときだった
何か様子が違う・・・・・新しいのだ・・・橋の親柱と欄干の一部が・・・・

このときは友人が一緒だったのでそのまま通過した
石物が新しくなったときは大体交通事故と相場が決まっている


Google mapストリートビューで確認してみると新しくなっている
画像撮影時期は2009年11月となっている
3年も前の画像でもう新しくなっている
3年間で伏見街道は何度も通っているが気が付かなかった

そういえばこのところ北から南に行くことがほとんどだったので気が付かなかったのか
なんか情けない話です

伏見街道は 伏水街道とも呼ばれ五条通を起点として伏見区までの約6kmの道のり
豊国神社・三十三間堂を左に見て 東福寺・伏見稲荷など名所が多い
その街道に架かる橋が4本あり北から伏水街道第一橋・第二・第三と続いて第四は少し離れて
名神高速の南にあります

fushimi-4hon

それでは伏水街道第一橋からスタートして見て行きましょう
第一橋が架かっていた川は今は、暗渠になっています
橋と欄干は橋のあった近所の一橋小学校のグランドに昭和35年から保存されています

初めておじゃましたのが2006年6月 小学校のインターホンを押して見学をお願いした
こういう場合授業中が多く対応してくださる先生が教頭先生や校長先生で恐縮する
一橋小学校の校名は一ノ橋にちなんで付けられた名前なので「ひとつばし」ではなく「いっきょう」と読みます

現在は、少し残念なことになっていますので心配ですが・・・・・
fushimi-1

2006年6月       2012年11月
現在は一橋小学校が建て替えで移転・・・発掘調査も終って埋め戻され
工事が再開されたところのようです
またきれいにされて保存されていくと思います・・・・・きっと
位置DATA 34/58/49.9    135/46/26.4 ±5m 日本測地系

伏見街道に戻りますと寶樹寺の角に1本の石碑があります
fushimi-1sekihi

「伏水街道一之橋旧趾」

一之橋は,伏見街道の今熊野川に架けられた橋で
その川が愛宕郡と紀伊郡との境界ともされていたが
元来は法性寺内の橋であったらしい・・・とのことです


第二橋も当時の位置ではなく東大路と交わる高架下に保存(親柱のみ)されています
fushimi-2th

位置DATA 34/58/38.5    135/46/24.0 ±5m 日本測地系
元の位置は分かりませんが 4本あるうちの南西・親柱に保存の経緯と世話役さんの名前が刻んである

それによると世話役さんは本町十四丁目の久保庄吉  本町十五丁目の清水茂吉   
十四丁目と十五丁目に跨って流れていた川に架かっていたのでしょうか
地図(現在)で見ると東福寺交番と東大路と交わる高架の間になります
当時の地図(明治)をみるとおおよそだが東福寺交番あたりに川が流れていたようです

その他、親柱には「京都府知事 長谷信篤 京都府参事 槙村正直 
建築主任権大属 木村・・・」と刻まれています


さて問題の伏水街道第三橋にやって来ました
fushimi-3th

ここは川が下に流れています
上流には 偃月橋 紅葉時大混雑の通天橋 臥雲橋と東福寺にある
すばらしい名前の付いた橋があります
川の名前は「三ノ橋川」です


位置DATA 34/58/24.7    135/46/24.2 ±5m 日本測地系
車道と歩道と分かれている状態になっていますが
親柱が立っている場所が前の道路の幅のようです
この状態は危険ですね

現地に行って道路状態等みるとだた高圧洗浄器できれいに洗ったと思われるほど
自然に収まっていた
しかし、よく見ると以前とあきらかに「伏水街道第三橋」の書体が異なる
なぜ書体を合わせなかったのか・・・・・・・分かりません

fushimi-3-maru

それと新しい親柱の根元の北西の位置にあった 几号刻印(几号水準点)「不」がありません
やはり交通事故(たぶん)で新しく復元されたものです

はっきりしたことは分かりませんでしたがどうも2008年に交通事故にあったようです

今回、東福寺交番で事故があったのか聞いてみましたが・・・「分かりません」とのことでした


なお京都市内に几号刻印「不」された 石碑・橋の親柱・燈籠などがあります
漢字の「不」に似ているので不号水準点ともいわれています 
明治初期に内務省が地図つくりを試みていた時の水準点標石
機会があれば、またご紹介させていただきます
第二橋の北西・親柱にも 几号刻印「不」があります

親柱・欄干・取付飾り金具等 すばらしい意匠です
一度、ご覧になってください


さてここから約2.5km南に下がります
七瀬川に架かる伏水街道第四橋に到着です

fushimi-4th

位置DATA 34/57/01.0    135/46/26.6 ±4m 日本測地系
ここは本来の欄干がありません 親柱のみ今の道幅に合わせてあります
橋の下に注目してみましょう  道第三橋もすばらしいのですが
ここのすばらしさは川の横に道があり完璧にご覧になれます

fushimi-4yokomaru

真円です 完璧な石積みの美です 
1873年(明治6年)竣工  石工は内田徳佐エ門
設置されてからそろそろ140年・・・・大先輩(笑)ですね
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