少し間が開きましたが 愛宕神社参拝の翌日10月8日 体育の日
粟田祭に行きました
粟田祭のはじまりは、長保3年(1001)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が祇園社に現れて
神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と
告げられました。
7日後の9月15日にお告げのとおり瑞光が現れたため御神幸が為されました。
その瑞光が現れた場所が当社であり、これが粟田祭の始まりとされています
(粟田神社HPより)
1001年から・・・・・今年で1011年
1000年を越える歴史がある お祭が体育の日を基準として行われている
体育の日が、神幸祭(しんこうさい)
なかなか祭りを行うのには ご苦労があるのでしょうね
神幸祭といえば剣鉾
剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、
悪霊を鎮める祭具です
「神様のお渡りになる道筋を祓い清め」どこかで聞いたことがありませんか
そうですね 祇園祭の山鉾と同じですね
剣鉾は祇園祭の原型ともいわれています
「剣鉾」とは、長さ6~7mにおよぶ棒に剣先が取り付けられたもので、重さは30~40k
鉾差しは、腰につけた差し革で剣鉾を支え、バランスを取りながら練り歩きます
そのとき 剣鉾の剣の部分を前後にペコン・ペコン(音はしません)という感じで揺らします
それに合わせるように剣鉾の上部に付けられた鈴を一定のリズムでカァン・カァンと
鳴らします。どうもこれが難しいようです。
「剣鉾」を支える「差し革」 みなさまよくご存知のお店でした(一澤帆布製)
地元の店が祭りを支える バックもいいですが こういうものが欲しい(笑)
剣鉾は、神社を出て町内を差して行きます 鉾差しは、ずっと差して歩くのではなく
所々で行われます その他は、剣鉾を担いで移動しますが
剣鉾を倒したり また立てたりします 見てみましょう
① 剣鉾を道路(地面)に降ろす 剣鉾の延長上に最低2名が待機
「足決めたかぁ」の声 剣鉾の元を足で押さえる
真中の人が剣鉾を受取り手で支えながらゆっくりとバックしながら倒していく
② 3人目がさすまたの小さい(先がU字になっている)ような棒(「鬼」と呼ぶらしい)で支える
③ さらに倒して平行にする
三条通から神宮道に入る この辺は「剣鉾」は担がれてやってきます
さあここからスタートです 後に小さく平安神宮の大鳥居が見えます
電線と大楠の間が1mくらいであろうか・・・・ギリギリです
わざわざこの場所で差さなくても・・・・・と思うのだが それはそこで(何?)
松鉾に続いて獅子牡丹鉾が「ペコンペコン・カァンカァン」と差していきます
腕の見せ所(よっ!うまい!さすが!拍手!) 見事にクリア
しかも西側の狭い歩道に乗って 当然 歩道に乗って進み歩道から降りる
この2回の段差クリアが また見せ場のようです
剣鉾・大燈呂に続いて 真打・お神輿の登場です(神輿巡行)
三鈷鉾 葵鉾
垣夕顔鉾 手前にあるのが 剣鉾を支える「鬼」です
今回はあと1つ桐鉾があったらしいが見逃してしまいました(反省)
合計 6つの剣鉾が登場した
粟田神社の氏子町内全部で19基とのこと
出ていない剣鉾は 祭りの期間・各町内に飾られていて拝見することができます
平成20年よりは古く行われていた風流灯籠(ふうりゅうどうろう)を復興して
粟田大燈呂となりました・・・・・3月の東山花灯路に知恩院三門前に参加していました
大きな灯篭の山車
クシナダヒメ 聖天 スサノオノミコト そして合槌稲荷
山越えの弥陀 法然上人 出世えびす そして八岐大蛇
色々あります 見て歩くだけで楽しいですね
剣鉾に続いて町内を練り歩きます
ご接待所 三条神宮道交差点から東に30m南側
「夷町のご接待です お餅食べていってぇー」と・・・もちろんおいしくいただきました
今年は、時間の都合で青蓮院まで見ました
時間があればその後の道順の白川沿いを通る剣鉾・大燈呂・お神輿を見たかったです
来年のお楽しみで・・・・(笑)
「十二灯」は「ジュウニン」と呼ばれ、前夜の「夜渡り」で子供達に担がれ神社でお祓いを受ける。
ここ中之町の「十二灯」は「出雲」と言われています
来年は、十二灯や灯りが入った大燈呂など 前日の夜行われる夜渡り神事もぜひ見たいものです
粟田祭に行きました
粟田祭のはじまりは、長保3年(1001)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が祇園社に現れて
神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と
告げられました。
7日後の9月15日にお告げのとおり瑞光が現れたため御神幸が為されました。
その瑞光が現れた場所が当社であり、これが粟田祭の始まりとされています
(粟田神社HPより)
1001年から・・・・・今年で1011年
1000年を越える歴史がある お祭が体育の日を基準として行われている
体育の日が、神幸祭(しんこうさい)
なかなか祭りを行うのには ご苦労があるのでしょうね
神幸祭といえば剣鉾
剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、
悪霊を鎮める祭具です
「神様のお渡りになる道筋を祓い清め」どこかで聞いたことがありませんか
そうですね 祇園祭の山鉾と同じですね
剣鉾は祇園祭の原型ともいわれています
「剣鉾」とは、長さ6~7mにおよぶ棒に剣先が取り付けられたもので、重さは30~40k
鉾差しは、腰につけた差し革で剣鉾を支え、バランスを取りながら練り歩きます
そのとき 剣鉾の剣の部分を前後にペコン・ペコン(音はしません)という感じで揺らします
それに合わせるように剣鉾の上部に付けられた鈴を一定のリズムでカァン・カァンと
鳴らします。どうもこれが難しいようです。
「剣鉾」を支える「差し革」 みなさまよくご存知のお店でした(一澤帆布製)
地元の店が祭りを支える バックもいいですが こういうものが欲しい(笑)
剣鉾は、神社を出て町内を差して行きます 鉾差しは、ずっと差して歩くのではなく
所々で行われます その他は、剣鉾を担いで移動しますが
剣鉾を倒したり また立てたりします 見てみましょう
① 剣鉾を道路(地面)に降ろす 剣鉾の延長上に最低2名が待機
「足決めたかぁ」の声 剣鉾の元を足で押さえる
真中の人が剣鉾を受取り手で支えながらゆっくりとバックしながら倒していく
② 3人目がさすまたの小さい(先がU字になっている)ような棒(「鬼」と呼ぶらしい)で支える
③ さらに倒して平行にする
三条通から神宮道に入る この辺は「剣鉾」は担がれてやってきます
さあここからスタートです 後に小さく平安神宮の大鳥居が見えます
電線と大楠の間が1mくらいであろうか・・・・ギリギリです
わざわざこの場所で差さなくても・・・・・と思うのだが それはそこで(何?)
松鉾に続いて獅子牡丹鉾が「ペコンペコン・カァンカァン」と差していきます
腕の見せ所(よっ!うまい!さすが!拍手!) 見事にクリア
しかも西側の狭い歩道に乗って 当然 歩道に乗って進み歩道から降りる
この2回の段差クリアが また見せ場のようです
剣鉾・大燈呂に続いて 真打・お神輿の登場です(神輿巡行)
三鈷鉾 葵鉾
垣夕顔鉾 手前にあるのが 剣鉾を支える「鬼」です
今回はあと1つ桐鉾があったらしいが見逃してしまいました(反省)
合計 6つの剣鉾が登場した
粟田神社の氏子町内全部で19基とのこと
出ていない剣鉾は 祭りの期間・各町内に飾られていて拝見することができます
平成20年よりは古く行われていた風流灯籠(ふうりゅうどうろう)を復興して
粟田大燈呂となりました・・・・・3月の東山花灯路に知恩院三門前に参加していました
大きな灯篭の山車
クシナダヒメ 聖天 スサノオノミコト そして合槌稲荷
山越えの弥陀 法然上人 出世えびす そして八岐大蛇
色々あります 見て歩くだけで楽しいですね
剣鉾に続いて町内を練り歩きます
ご接待所 三条神宮道交差点から東に30m南側
「夷町のご接待です お餅食べていってぇー」と・・・もちろんおいしくいただきました
今年は、時間の都合で青蓮院まで見ました
時間があればその後の道順の白川沿いを通る剣鉾・大燈呂・お神輿を見たかったです
来年のお楽しみで・・・・(笑)
「十二灯」は「ジュウニン」と呼ばれ、前夜の「夜渡り」で子供達に担がれ神社でお祓いを受ける。
ここ中之町の「十二灯」は「出雲」と言われています
来年は、十二灯や灯りが入った大燈呂など 前日の夜行われる夜渡り神事もぜひ見たいものです