雪丸の京都散歩2

雪丸号(自転車)に乗ってちょっとディープな京都をご紹介します

2012年10月

このブログに掲載されている文章・写真・画像・イラストなどの無断転載を禁じます。

粟田祭(粟田神社大祭)

少し間が開きましたが 愛宕神社参拝の翌日10月8日 体育の日
粟田祭に行きました


粟田祭のはじまりは、長保3年(1001)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が祇園社に現れて
神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と
告げられました。
7日後の9月15日にお告げのとおり瑞光が現れたため御神幸が為されました。
その瑞光が現れた場所が当社であり、これが粟田祭の始まりとされています
                               (粟田神社HPより)

1001年から・・・・・今年で1011年
1000年を越える歴史がある お祭が体育の日を基準として行われている
体育の日が、神幸祭(しんこうさい)
なかなか祭りを行うのには ご苦労があるのでしょうね

神幸祭といえば剣鉾
剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、
悪霊を鎮める祭具です

「神様のお渡りになる道筋を祓い清め」どこかで聞いたことがありませんか

そうですね 祇園祭の山鉾と同じですね
剣鉾は祇園祭の原型ともいわれています


「剣鉾」とは、長さ6~7mにおよぶ棒に剣先が取り付けられたもので、重さは30~40k

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鉾差しは、腰につけた差し革で剣鉾を支え、バランスを取りながら練り歩きます 
そのとき 剣鉾の剣の部分を前後にペコン・ペコン(音はしません)という感じで揺らします
それに合わせるように剣鉾の上部に付けられた鈴を一定のリズムでカァン・カァンと
鳴らします。どうもこれが難しいようです。

「剣鉾」を支える「差し革」 みなさまよくご存知のお店でした(一澤帆布製)
地元の店が祭りを支える バックもいいですが こういうものが欲しい(笑)
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剣鉾は、神社を出て町内を差して行きます  鉾差しは、ずっと差して歩くのではなく
所々で行われます  その他は、剣鉾を担いで移動しますが
剣鉾を倒したり また立てたりします 見てみましょう


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① 剣鉾を道路(地面)に降ろす 剣鉾の延長上に最低2名が待機
  「足決めたかぁ」の声 剣鉾の元を足で押さえる
  真中の人が剣鉾を受取り手で支えながらゆっくりとバックしながら倒していく
② 3人目がさすまたの小さい(先がU字になっている)ような棒(「鬼」と呼ぶらしい)で支える
③ さらに倒して平行にする


三条通から神宮道に入る この辺は「剣鉾」は担がれてやってきます


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さあここからスタートです 後に小さく平安神宮の大鳥居が見えます

電線と大楠の間が1mくらいであろうか・・・・ギリギリです
わざわざこの場所で差さなくても・・・・・と思うのだが それはそこで(何?)
松鉾に続いて獅子牡丹鉾が「ペコンペコン・カァンカァン」と差していきます

腕の見せ所(よっ!うまい!さすが!拍手!) 見事にクリア
しかも西側の狭い歩道に乗って 当然 歩道に乗って進み歩道から降りる
この2回の段差クリアが また見せ場のようです


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剣鉾・大燈呂に続いて 真打・お神輿の登場です(神輿巡行)


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三鈷鉾  葵鉾


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垣夕顔鉾 手前にあるのが 剣鉾を支える「鬼」です     

今回はあと1つ桐鉾があったらしいが見逃してしまいました(反省)
合計 6つの剣鉾が登場した

粟田神社の氏子町内全部で19基とのこと  
出ていない剣鉾は 祭りの期間・各町内に飾られていて拝見することができます


平成20年よりは古く行われていた風流灯籠(ふうりゅうどうろう)を復興して
粟田大燈呂となりました・・・・・3月の東山花灯路に知恩院三門前に参加していました


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大きな灯篭の山車
クシナダヒメ  聖天  スサノオノミコト  そして合槌稲荷


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山越えの弥陀  法然上人  出世えびす  そして八岐大蛇
色々あります 見て歩くだけで楽しいですね
剣鉾に続いて町内を練り歩きます


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ご接待所 三条神宮道交差点から東に30m南側
「夷町のご接待です お餅食べていってぇー」と・・・もちろんおいしくいただきました

今年は、時間の都合で青蓮院まで見ました
時間があればその後の道順の白川沿いを通る剣鉾・大燈呂・お神輿を見たかったです
来年のお楽しみで・・・・(笑) 


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「十二灯」は「ジュウニン」と呼ばれ、前夜の「夜渡り」で子供達に担がれ神社でお祓いを受ける。 
ここ中之町の「十二灯」は「出雲」と言われています

来年は、十二灯や灯りが入った大燈呂など 前日の夜行われる夜渡り神事もぜひ見たいものです

愛宕神社参拝と愛宕山鉄道 その②

先回の愛宕駅跡から再び表参道に戻る(約10分)
合流地点は、水尾わかれより少し(約50m)
位置DATA 35/02/43.7  135/38/17.9  ±5m 日本測地系


さあ、愛宕神社に向いましょう
ハナ売場・倒木ポイント・黒門と通って行く
黒門を越えると 燈籠がいくつも見えてきました

ここでもう一つのミッションであった「伊藤萬蔵」探しを始めます
2人で行きましたので左右に分かれて燈籠の寄進者を1本1本確認しながら
登っていく・・・・・これが毎度のことながら時間がかかる


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最終休息小屋からの景色  みなさん景色を楽しみながら休息


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右京・西京・・・・・京都らしい?(笑)


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表参道と首なし地蔵ルートの合流地点の休息所から
神社への最終石段・・・・・最後の難関
当ブログでおなじみのT本君 後姿ですが 登場です

ここから燈籠の数が増える
慎重に寄進者を確認・・・・・・・・・古いものが多い


残念ながら今回 萬蔵を発見できなかった

その代わりと言ってはなんですが 京都らしいものを発見


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内貴甚三郎・田中源太郎・大村彦太郎・井上利助・山口源兵衛・・・・
京都ではおなじみの方々ばかりです



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青銅鳥居と 扁額と イノシシ
左右の柱に神の使いとされるイノシシの浮き彫りがある。
このイノシシを舐めると足の疲れがたちどころにとれるらしい・・・自己責任で舐めてください

神社着は 14時42分・・・・・・・約4時間・・・・予定通り

本殿にお参りして 本殿裏に回って鬼さんに会ってきました(笑)

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怖いでしょう みなさん見逃してしまいます じっと見られていますよ

さあ、下山しましょうか
その前に汗をかいているので着替えます 第二鳥居そばの看板にあった
気温差は10℃・・・・・・本当でした


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15時の気温は 12℃でした・・・寒い!


「カワラケ投げ」跡まで降りてきました

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登りは五合目から迂回(ケーブルカー跡)したのでここは
本日初めて通ります
大念仏狂言「愛宕詣り」で出てくる場所ですね
こんなに景色が良いと投げたくもなりますか(笑)

16時50分 帰ってきました・・・なんとか17時に駐車場・・・間に合いました(笑)
帰りは 1時間50分(休憩10分を含む)


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この時期に愛宕神社にお参り登山される方に・・・・・
ペットボトル500ccを2本 着替えはお忘れなく
それと雨具も・・・・・

それでは くれぐれも「自分で登り、自分で下山」です



今回のオマケです
10月7日 現在 

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千本通の元出世稲荷のバス停はそのまま「出世稲荷前」です
どんな名前のバス停になるのか・・・・
市バスとJRバスと協議中でしょうか(笑)

愛宕神社参拝と愛宕山鉄道 その①

10月7日(土) 天気 晴れ時々曇り
今回は、愛宕神社参拝です・・・・・愛宕山登山の表現の方がピッタリです

それでは行ってみましょう
夏の(7/31)の千日詣は2度参拝したが2回ともも首なし地蔵からのルート
今回は、表参道 ルート・一般ルートと言われている 清滝からのルートで登ることにした

車で嵯峨野から清滝トンネルを通って金鈴橋そばの駐車場に10時30分到着

なんと満車・・・・・・・・出発が遅すぎましたね(笑)
管理の人がキーを付けたままなら駐車できますとのことだったのでOK
しかし、17時までには戻ってきてください・・・・とのこと・・・微妙な時間だ

さあ、出発します
今回は、愛宕山鉄道(ケーブルカー跡)を意識して登る予定

愛宕山鉄道?
嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索線)が運用されていました

昭和4(1929)年4月 嵐山から清滝までの平坦線が開業する
昭和4(1929)年7月 清滝川から愛宕までの鋼索(ケーブル)線が開業した

清滝に清滝遊園地・愛宕山にホテル・愛宕山遊園地や飛行塔まであり
またスキー場、テント村などが造られてリゾート地となり賑わった。

しかし、昭和19(1944)年2月
不要不急線に指定後、 鋼索線が廃止となり(供出のため) 
それにともないホテル・遊園地等の施設も廃止

のちに平坦線の跡地は道路(清滝道)となりましたが ケーブルカー部分はそのまま放置されていて
現在も清滝川駅跡地や線路跡、愛宕駅の駅の跡を見ることができるが
なにせ廃止されてからそろそろ70年になろうとしている
駅舎は崩壊しかけており、また6つあるトンネルのうち2つは内部が崩壊している
線路部分も全線において危険な状態になっているのが現状です


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金鈴橋を渡ると正面に石段あり上がるとケーブルの清滝川駅跡です(山麓駅)

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愛宕神社第二鳥居の横に愛宕ケーブル跡の解説があります

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愛宕神社第二鳥居
伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り

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「自分で登り、自分で下山する他、手段はなし」なるほど
気温差10℃・・・・・・なるほど

愛宕神社のHPには、清滝から約2時間の登り
自分たち(2人)は、倍の4時間を設定しました(遅&笑)
抜かれることはあっても抜いたことはなし・・・ゆっくり行きましょ

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登り始めてすぐはケーブルカーの軌道跡と平行する
唯一の水場・・・・早すぎ

しかし、先程から天気が曇りになってきた 茶屋跡を過ぎたあたりからポツポツきた
気のせいか(笑) ついに降ってきた・・・・良い天気の予報だったが・・・・・
山の天気は変わりやすい・・・ということか
雨宿り(木の下)しながら登ったがついに雨具を着る 足元が滑る
幸いなことに四合目くらいで雨が上る


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五合目の休息所・満員御礼
35/02/38.0 135/38/57.1 ±6m 日本測地系

五合目の休息所まで1時間30分 ここから後の道(黄色矢印)へ行きます
ここからケーブルカー跡に入る

参拝ともう一つの目的の「愛宕山ケーブルカー」の跡を登ることでした
五合目の休息所から約8分で第五トンネルの出口に到着


さあ、ケーブルカー跡を登りましょう
これがキツイ ケーブルカーの跡ですから 当然一直線に登るわけで
運動不足が益々露見する 永遠に続くような感じだ

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橋脚部 上を歩く ちょっと怖い 昭和4年建設とは思えないほどしっかりしている
建設当時の苦労が伺える 

少し登って一息入れる また少し登って一息入れる そしてまた・・・・・一息入れすぎ(笑)

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第6トンネルと第六橋梁(付け根の部分が一部崩壊しています)
高さがかなりあり 注意しないと危険です

しかし、ここまでくると 景色が良いです 叡山や左京区あたりがよく見える


やっと愛宕駅跡に到着・・・・なんと12時55分(遅)

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35/02/43.8 135/38/30.5 ±4m 日本測地系
自然に帰りつつある駅舎 鉄筋がむき出し あと何年建っていられるのか

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コンクリートが雨水に侵されて石灰成分がツララのように天井から下がっている
床部分には 溜まって鍾乳洞の中の鍾乳石のようです

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(左)地下はケーブルカーの機械部分 (右)1階部分 右奥に2階に行く階段

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階段は、ゆっくり慎重に上ってみた 2階は食堂として使われていた

本日(7日)は、表参道は沢山の方が登っていたが愛宕鉄道跡では
一人も出会うことはなかった
携帯電話も所々つながらない
今回は、五合目から愛宕鉄道跡に入りましたが 愛宕登山と同じく
自己責任です 十分注意してください

愛宕神社参拝と愛宕山鉄道 その②に続きます

京の道路元標

道路元標 どうろげんぴょう

道路元標って?

道路の起点となったり 市町村間の距離表示の基準になるもので
大正9(1919)年に施行された旧道路法と同法の施行令にもとづき
市町村に道路元標が設置された。
市役所・町村役場の前など中心部に建てられました
 

しかし、現行の道路法では道路元標は道路の附属物とされているだけで
特別規定はなく道路の起終点は、道路元標と関係がなくなっているので
道路元標は、用なしになってしまったのです

道路の拡張工事などでいつの間にか処分された道路元標も多くあるでしょう

モニュメントやオブジェ的に保管されているものも見受けられる
路肩にがんばって建っている道路元標もまだ多くあります

元々道路元標の大きさは決められていて高さ60cm、幅・奥行きは25cm(地上部分)
全体の大きさは倍以上です

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掘り起こされて横たわっている道路元標です
全体は170cmはありますね


それでは京都市及び周辺の道路元標のご紹介です

その① 最初は、やはり「京都市道路元標」からですね

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2012年6月30日 この日は日曜日でしたので午前7時30分でも
人があまりいません


京都府告示第百五十號(号)
管内各市町村元標ノ位置左ノ通定ム

大正九年三月三十日
京都府知事 馬渕鋭太郎

設置場所 京都市 下京區三條通烏丸通交叉點
交叉點 二本以上の線、特に街路が交わっている所・・・いわゆる交差点ですね
烏丸三条 交差点の南東角にあります

位置DATAは 35/00/19.2 135/45/45.3 ±5m 日本測地系


この京都市道路元標は、日本国道路元標が日本橋にあるために 
京都も東海道 (日本橋-京師三条大橋)の関係でしょうか
三条大橋に道路元標があると思われていたのでしょう

最初に設立されたのは三条大橋で 後に何らかの理由で烏丸三条 交差点に
移された という説がまことしやかに言われているが
この京都府告示にあるように最初から今の位置にあったようです

しかし この元標をみると途中から色が変わっている
掘り起こされて再度設立されたものと思われますが
道路の拡張等で移動したのは数メートル程度でしょう


人が入らないように道路元標の写真を撮ろうとすると
昼間、特に出勤時間にあたるとかなりの忍耐が必要です
車道に出ないように注意してください

写真を撮るには早朝がベストのようです


その② 醍醐村道路元標
位置DATAは 34/56/50.0 135/49/13.8 ±4m 日本測地系

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旧奈良街道(醍醐道)沿い 醍醐寺の総門から南へ150m
大きな松並木が残っていて旧街道の雰囲気を感じることができる
数少ない場所です 

京都府告示第百五十號(号)によりますと設立時の住所は
「宇治郡醍醐村大字醍醐小字東大路参拾四番地先」

この醍醐村道路元標を調べに行ったときは
てっきり醍醐寺総門付近にあるものと思っていた・・・・いやあったかもしれない


その③ 寺院つながりで花園村道路元標です
位置DATAは 35/01/03.7 135/43/22.2 ±4m 日本測地系

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妙心寺の北総門・勅使門の前にあります

京都府告示第百五十號(号)によりますと設立時の住所は
「葛野郡花園村大字御室小字芝橋参番地ノ壹地先」

大正9年(1920年)の地図を見てみると 花園村は仁和寺あたりの御室まで
入る
現在、仁和寺の仁王門の前あたりが御室芝橋町・・・・・・・
大正9年当時 花園村道路元標は、仁和寺の仁王門前にあったのだろうか

後に御室と花園に分れたときに現在の位置に来たのでしょうか


その④ 修学院村道路元標

京都府告示第百五十號(号)によりますと設立時の住所は
「愛宕郡修學院村大字修學院小字川原壹番地ノ壹地先」

現在の住所は 左京区山端川原町1-1
たぶんこの道路元標は、ほとんど移動していないと思います

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位置DATAは 35/02/52.0 135/47/34.9 ±5m 日本測地系

ここの元標は交通事故の危険性が 電柱のおかげで低くなって
いるようです

以上、今回は4本ご紹介しましたが 
まだ京都市内に10本以上確認されていますので
また紹介します


道路元標、あなたのお住まいの近くにもきっとあります
一度、探してみてください


それでは最後に わりと恵まれている道路元標をどうぞ

場所は、京都府亀岡市の「保津村道路元標」です
位置DATAは 35/01/08.5 135/35/34.8 ±5m 日本測地系

genpyou-hozu

丁寧な紹介看板かなり珍しいです。 恵まれています

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