先回 大般若会 その前は生身供をご紹介しましたので
今回は、御影堂(大師堂)エリアをご案内します
東寺を訪れる皆さんは ほとんど500円の拝観料を支払って
有料エリアに直行・・・金堂や講堂に入られます
金堂の薬師如来 十二神将 日光菩薩 そして眼差しが妖艶な(私見です)月光菩薩
講堂の立体曼荼羅を形成する圧倒的な仏像群
京都を代表する五重塔・不開門・瓢箪池など
春は不二桜・・・・・・・・・・・すばらしい 見所満載です
このエリアに入ると最低2時間は出てきませんので
家族は、私と行きたがりません(汗&笑)
なんだかんだいって上洛したとき東寺で過している時間が一番長かったりします
ほとんどの観光客のみなさんは 有料エリアを見て帰られます
しかし、せっかく東寺にお参りに来たのですから
ぜひ御影堂エリアにも足を運んでいただきたい
こちらは無料です 見所は 有料エリアに負けてません
北西の部分 西院と呼ばれる
もちろんメインは御影堂ですが先回ご紹介しましたので
それ以外を・・・
それでは唐門から入りましょう
地図 西院エリアです
最初は
大日堂
2000年に再建 新しくきれいです
江戸時代 御影堂の拝礼所でしたが その後は、桓武天皇や足利尊氏らの
位牌を納めてある尊牌堂です 本尊は大日如来
現在は先祖供養の回向所 毎月21日には回向法要が行われます
大日堂 西隣の灯籠 (大日堂の左右にあります)
これがまたすばらしい 伊藤萬蔵 (伊藤萬蔵のブログ参照してください) ではないが
やはり東寺に寄進するとなれば自然と「力」が入るのだろうか
一度じっくりご覧になってください
梵鐘は、足利尊氏寄進・・・レプリカですがこういった名前が普通に出て来るのが
東寺・京都ですね
すぐ南にある香台(?)もこれまたすばらしい・・・こちらもどうぞ
御影堂の横を南に下ります
〇三面大黒天
大黒天・毘沙門天・弁財天の三尊が合体 3つのご利益を一度に授かる
お徳です(失礼) お参りください
一番南のエリア(赤い部分)には色々な石物が並んでいます
西から順番にお参りする方が多いようです(東からでもOK)
朝早くから地元の方が熱心に手を合わせています
萬蔵の南無大師遍照金剛碑(勝手に命名・・・笑)も今日は
花が綺麗に飾られてなにか誇らしげです
高野山遙拝所があります
「ここより南方に高野山があります。お大師様は東寺を真言宗の根本道場、
高野山を修禅の道場と定められ、この二大寺を特に大切にされ、
承和2年(835年)3月21日、62歳の御歳に高野山で御入定なされました。
ここから高野山奥之院のお大師様にお参り下さい。 合掌」
(高野山遙拝所説明より)
ここから高野山を拝むことができます 南無大師遍照金剛・・・・7反
天降石です(通称:撫石)
この石を撫でてからご自分の悪いところを撫でるとよくなるとのことです
尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の碑
亀趺(キフ)とは、亀の形に刻んだ石碑の台石で
(巨大な亀の形に似た想像上の霊獣)
功績や功徳などを刻んだ石碑を乗せるものが多い
尊勝陀羅尼碑 碑には以下のことが書いてある
「弘法大師空海は世の衆生を救うため,日本に渡来したこの陀羅尼を輪の形に
書き写し,板に刻み東大寺二月堂に安置した。
二月堂が焼けた時,この板は裏が焦げただけで無事だった。
東大寺では外に見せることを惜しみ,そのため弘法大師のありがたい心が世に
伝わらないので,河内国の僧智満が模写した一本を園城寺法明院の敬彦が得て
これを印刷し諸人に施した。
わたし願海はなお広く普及させようと発起し,誰もが見られる北野天満宮に
碑を建てることにしたという次第である。
(フィールド.M 京都 解説より抜粋)
北野天満宮 宗像社のそばに嘉永6年(1853)に建てられ
慶応4年(1868)神仏分離令によって東寺に移された
説明文からみると東寺にやって来たのは自然の流れのようですね・・・一件落着です
合掌→頭→右手→右足→尻尾→左足→左手→自分→合掌という具合に
みなさん回られています
ちなみに以前、萬蔵香台があった場所です
しかし重そうです
毘沙門堂です
平安京の羅城門の二階に祀られていた
兜跋毘沙門天(国宝)を安置するために、江戸時代、1822年に建てられた。
国宝の兜跋毘沙門天像は宝物館に収蔵されています
現在は、別の毘沙門天像が安置されている。
毘沙門天像は京都の都七福神(毘沙門天)のひとつ
オン ベイシラマンダヤ ソワカ
以上、西院エリアのご紹介です 信仰の強さを感じます・・・・・合掌
東寺にはまだまだ魅力がたくさんありますのでボチボチご紹介していきます
ところでこの日、生身供の帰りに雪丸を取りに行くと
慶賀門に内側を洛南会館方面からアオサギが鷺やカモを引連れてやって来た
宝蔵の堀に入る前にロープを跨ぐのではなく ロープに足をかけてヒョイって感じで
越えていった。すごいぞ・・・・
カッタ君ならぬ「東寺のトッタ君」と命名させていただきました
ロープに足をかけた瞬間の東寺のトッタ君 東寺の「主」です?
ゴイサギどころか大阿闍梨サギかもしれない(笑)
ここの主であることには間違いない
今回は、御影堂(大師堂)エリアをご案内します
東寺を訪れる皆さんは ほとんど500円の拝観料を支払って
有料エリアに直行・・・金堂や講堂に入られます
金堂の薬師如来 十二神将 日光菩薩 そして眼差しが妖艶な(私見です)月光菩薩
講堂の立体曼荼羅を形成する圧倒的な仏像群
京都を代表する五重塔・不開門・瓢箪池など
春は不二桜・・・・・・・・・・・すばらしい 見所満載です
このエリアに入ると最低2時間は出てきませんので
家族は、私と行きたがりません(汗&笑)
なんだかんだいって上洛したとき東寺で過している時間が一番長かったりします
ほとんどの観光客のみなさんは 有料エリアを見て帰られます
しかし、せっかく東寺にお参りに来たのですから
ぜひ御影堂エリアにも足を運んでいただきたい
こちらは無料です 見所は 有料エリアに負けてません
北西の部分 西院と呼ばれる
もちろんメインは御影堂ですが先回ご紹介しましたので
それ以外を・・・
それでは唐門から入りましょう
地図 西院エリアです
最初は
大日堂
2000年に再建 新しくきれいです
江戸時代 御影堂の拝礼所でしたが その後は、桓武天皇や足利尊氏らの
位牌を納めてある尊牌堂です 本尊は大日如来
現在は先祖供養の回向所 毎月21日には回向法要が行われます
大日堂 西隣の灯籠 (大日堂の左右にあります)
これがまたすばらしい 伊藤萬蔵 (伊藤萬蔵のブログ参照してください) ではないが
やはり東寺に寄進するとなれば自然と「力」が入るのだろうか
一度じっくりご覧になってください
梵鐘は、足利尊氏寄進・・・レプリカですがこういった名前が普通に出て来るのが
東寺・京都ですね
すぐ南にある香台(?)もこれまたすばらしい・・・こちらもどうぞ
御影堂の横を南に下ります
〇三面大黒天
大黒天・毘沙門天・弁財天の三尊が合体 3つのご利益を一度に授かる
お徳です(失礼) お参りください
一番南のエリア(赤い部分)には色々な石物が並んでいます
西から順番にお参りする方が多いようです(東からでもOK)
朝早くから地元の方が熱心に手を合わせています
萬蔵の南無大師遍照金剛碑(勝手に命名・・・笑)も今日は
花が綺麗に飾られてなにか誇らしげです
高野山遙拝所があります
「ここより南方に高野山があります。お大師様は東寺を真言宗の根本道場、
高野山を修禅の道場と定められ、この二大寺を特に大切にされ、
承和2年(835年)3月21日、62歳の御歳に高野山で御入定なされました。
ここから高野山奥之院のお大師様にお参り下さい。 合掌」
(高野山遙拝所説明より)
ここから高野山を拝むことができます 南無大師遍照金剛・・・・7反
天降石です(通称:撫石)
この石を撫でてからご自分の悪いところを撫でるとよくなるとのことです
尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の碑
亀趺(キフ)とは、亀の形に刻んだ石碑の台石で
(巨大な亀の形に似た想像上の霊獣)
功績や功徳などを刻んだ石碑を乗せるものが多い
尊勝陀羅尼碑 碑には以下のことが書いてある
「弘法大師空海は世の衆生を救うため,日本に渡来したこの陀羅尼を輪の形に
書き写し,板に刻み東大寺二月堂に安置した。
二月堂が焼けた時,この板は裏が焦げただけで無事だった。
東大寺では外に見せることを惜しみ,そのため弘法大師のありがたい心が世に
伝わらないので,河内国の僧智満が模写した一本を園城寺法明院の敬彦が得て
これを印刷し諸人に施した。
わたし願海はなお広く普及させようと発起し,誰もが見られる北野天満宮に
碑を建てることにしたという次第である。
(フィールド.M 京都 解説より抜粋)
北野天満宮 宗像社のそばに嘉永6年(1853)に建てられ
慶応4年(1868)神仏分離令によって東寺に移された
説明文からみると東寺にやって来たのは自然の流れのようですね・・・一件落着です
合掌→頭→右手→右足→尻尾→左足→左手→自分→合掌という具合に
みなさん回られています
ちなみに以前、萬蔵香台があった場所です
しかし重そうです
毘沙門堂です
平安京の羅城門の二階に祀られていた
兜跋毘沙門天(国宝)を安置するために、江戸時代、1822年に建てられた。
国宝の兜跋毘沙門天像は宝物館に収蔵されています
現在は、別の毘沙門天像が安置されている。
毘沙門天像は京都の都七福神(毘沙門天)のひとつ
オン ベイシラマンダヤ ソワカ
以上、西院エリアのご紹介です 信仰の強さを感じます・・・・・合掌
東寺にはまだまだ魅力がたくさんありますのでボチボチご紹介していきます
ところでこの日、生身供の帰りに雪丸を取りに行くと
慶賀門に内側を洛南会館方面からアオサギが鷺やカモを引連れてやって来た
宝蔵の堀に入る前にロープを跨ぐのではなく ロープに足をかけてヒョイって感じで
越えていった。すごいぞ・・・・
カッタ君ならぬ「東寺のトッタ君」と命名させていただきました
ロープに足をかけた瞬間の東寺のトッタ君 東寺の「主」です?
ゴイサギどころか大阿闍梨サギかもしれない(笑)
ここの主であることには間違いない