雪丸の京都散歩2

雪丸号(自転車)に乗ってちょっとディープな京都をご紹介します

2012年03月

このブログに掲載されている文章・写真・画像・イラストなどの無断転載を禁じます。

東寺・西院 (御影堂エリア)

先回 大般若会  その前は生身供をご紹介しましたので
今回は、御影堂(大師堂)エリアをご案内します


東寺を訪れる皆さんは ほとんど500円の拝観料を支払って
有料エリアに直行・・・金堂や講堂に入られます

金堂の薬師如来 十二神将  日光菩薩 そして眼差しが妖艶な(私見です)月光菩薩

講堂の立体曼荼羅を形成する圧倒的な仏像群
京都を代表する五重塔・不開門・瓢箪池など
春は不二桜・・・・・・・・・・・すばらしい 見所満載です

このエリアに入ると最低2時間は出てきませんので
家族は、私と行きたがりません(汗&笑)

なんだかんだいって上洛したとき東寺で過している時間が一番長かったりします

ほとんどの観光客のみなさんは 有料エリアを見て帰られます

しかし、せっかく東寺にお参りに来たのですから
ぜひ御影堂エリアにも足を運んでいただきたい

こちらは無料です 見所は 有料エリアに負けてません


北西の部分 西院と呼ばれる
もちろんメインは御影堂ですが先回ご紹介しましたので
それ以外を・・・
それでは唐門から入りましょう

saiin map

地図 西院エリアです

最初は
 大日堂
 2000年に再建 新しくきれいです 
 江戸時代 御影堂の拝礼所でしたが その後は、桓武天皇や足利尊氏らの
 位牌を納めてある尊牌堂です  本尊は大日如来
 現在は先祖供養の回向所 毎月21日には回向法要が行われます

大日堂 西隣の灯籠 (大日堂の左右にあります)
 これがまたすばらしい 伊藤萬蔵 (伊藤萬蔵のブログ参照してください) ではないが
 やはり東寺に寄進するとなれば自然と「力」が入るのだろうか
 一度じっくりご覧になってください
saiin toro



梵鐘は、足利尊氏寄進・・・レプリカですがこういった名前が普通に出て来るのが
 東寺・京都ですね
 すぐ南にある香台(?)もこれまたすばらしい・・・こちらもどうぞ

御影堂の横を南に下ります
〇三面大黒天
 大黒天・毘沙門天・弁財天の三尊が合体 3つのご利益を一度に授かる
 お徳です(失礼) お参りください

一番南のエリア(赤い部分)には色々な石物が並んでいます
西から順番にお参りする方が多いようです(東からでもOK)

朝早くから地元の方が熱心に手を合わせています

saiin namutaishi

萬蔵の南無大師遍照金剛碑(勝手に命名・・・笑)も今日は
花が綺麗に飾られてなにか誇らしげです


saiin koya

高野山遙拝所があります
「ここより南方に高野山があります。お大師様は東寺を真言宗の根本道場、
高野山を修禅の道場と定められ、この二大寺を特に大切にされ、
承和2年(835年)3月21日、62歳の御歳に高野山で御入定なされました。
ここから高野山奥之院のお大師様にお参り下さい。 合掌」
                            (高野山遙拝所説明より)
ここから高野山を拝むことができます  南無大師遍照金剛・・・・7反


saiin tenko

天降石です(通称:撫石)
この石を撫でてからご自分の悪いところを撫でるとよくなるとのことです


saiin sonsyo

尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の碑

亀趺(キフ)とは、亀の形に刻んだ石碑の台石で
(巨大な亀の形に似た想像上の霊獣)
功績や功徳などを刻んだ石碑を乗せるものが多い

尊勝陀羅尼碑 碑には以下のことが書いてある

「弘法大師空海は世の衆生を救うため,日本に渡来したこの陀羅尼を輪の形に
書き写し,板に刻み東大寺二月堂に安置した。
二月堂が焼けた時,この板は裏が焦げただけで無事だった。
東大寺では外に見せることを惜しみ,そのため弘法大師のありがたい心が世に
伝わらないので,河内国の僧智満が模写した一本を園城寺法明院の敬彦が得て
これを印刷し諸人に施した。
わたし願海はなお広く普及させようと発起し,誰もが見られる北野天満宮に
碑を建てることにしたという次第である。
                       (フィールド.M 京都 解説より抜粋)

北野天満宮 宗像社のそばに嘉永6年(1853)に建てられ
慶応4年(1868)神仏分離令によって東寺に移された

説明文からみると東寺にやって来たのは自然の流れのようですね・・・一件落着です

合掌→頭→右手→右足→尻尾→左足→左手→自分→合掌という具合に
みなさん回られています
ちなみに以前、萬蔵香台があった場所です
しかし重そうです


saiin bisyamondo

毘沙門堂です
平安京の羅城門の二階に祀られていた 
兜跋毘沙門天(国宝)を安置するために、江戸時代、1822年に建てられた。

国宝の兜跋毘沙門天像は宝物館に収蔵されています
現在は、別の毘沙門天像が安置されている。

毘沙門天像は京都の都七福神(毘沙門天)のひとつ

オン ベイシラマンダヤ ソワカ

以上、西院エリアのご紹介です  信仰の強さを感じます・・・・・合掌


東寺にはまだまだ魅力がたくさんありますのでボチボチご紹介していきます



ところでこの日、生身供の帰りに雪丸を取りに行くと

慶賀門に内側を洛南会館方面からアオサギが鷺やカモを引連れてやって来た
宝蔵の堀に入る前にロープを跨ぐのではなく ロープに足をかけてヒョイって感じで
越えていった。すごいぞ・・・・

カッタ君ならぬ「東寺のトッタ君」と命名させていただきました
tottakun

ロープに足をかけた瞬間の東寺のトッタ君 東寺の「主」です?

ゴイサギどころか大阿闍梨サギかもしれない(笑)
ここの主であることには間違いない

東寺 大般若会

毎月1日は、10時から生身供同じく御影堂(大師堂)で行われる
大般若会があります

30分前あたりから皆さん集まってきます

御影堂の外陣にあがるとすでに多くの人が座っている
3列目の中央付近に座った
生身供のときよりも結界が前に移動してあるので多くの人が入ることが可能です

外陣には参拝者が約60人


時間になりました・・・・15人ほどの僧侶入場です
600巻の大般若経の転読の始まりです
箱に入った大般若経はすでに各人(僧侶)の前に置いてある

大太鼓に合わせて般若経の転読が始まりました
「あっあー」から始まり各お経の冒頭部分を少し読んで
左手を少し上に そしてパラパラと扇型に少し下げた右手で受ける
皆さん一度はこの形式の転読をニュースなどでご覧になったことがあると思います

右手に全部収まると少し強めに「パァーン」と置く・・・空気抜きですかね
僧侶の中に1人サウスポーなのだろうか手が逆になっているのが印象的でした
これで1巻読んでことにする(読んだ)
これを繰返す

次に ご祈祷を依頼した方だろうか名前が読み上げられて行く
そしてこれまた大太鼓に合わせて般若心経の転読が参拝者も含めて始まる
般若心経 3回転読・・・・・・・

いろいろな仏の真言を唱える

時間は生身供と同じく約30分です

終了すると
僧侶の方々が退堂するとともに2人の僧侶が 左右に分かれて外陣に・・・・

生身供のお舎利様と同様に頭と両手に大般若経のお授けがあります
生身供と違うのは外陣に出てこられてのお授けです

お疲れさまでした・・・・・・足が少しシビレています(笑)
大般若会は 毎月1日の午前10時からです
ぜひ参加してください・・・・数珠をお忘れなく

心暗きときは、すなわち遇う所ことごとく禍(か)なり、眼(まなこ)明らかなるときは途(みち)に触れて皆宝なり 
                         弘法大師さまのおことば 性霊集より


komafuda goeidou

「私は毎年、訪ねてくるひとに京都のどこかの寺を、
そのときの思いのままに案内するのだが
約束のときに「東寺の御影堂の前で待ちましょう」ということにしている
京の寺々を歩くには、やはり平安京の最古の遺構であるこの境内を
出発点とするのがふさわしく、また京都御所などよりもはるかに古い形式の
住宅建築である御影堂を見、その前に立ち、しかるのにちに他の場所に
移ってゆくのが、なんとなく京都への礼儀のような気がして、
そういうぐあいに自分をなじませてしまっている
弘法大師(空海)に対する私の中の何事かも、こうゆう御影堂への
なじみと無縁でないかもしれない」

・・・・・・と司馬遼太郎先生もおっしゃっていますので今後は、
ここを待合わせの場所としてください

前回 ご紹介した生身供にお参りするようになって何年になるのか忘れましたが
今では雪丸とともに 上洛=東寺・生身供がメインルーチンとなっています

毎回、京都は生身供から始まる・・・と言うことは御影堂から始まっているので
司馬遼太郎先生の考えに沿った形になっています(笑)



ここで御影堂(大師堂)のご紹介です


御影堂は、たいへん美しい建物です
北側から前堂・中堂・後堂から構成されており 入母屋造 屋根は檜皮葺で
蔀戸・妻戸そして高欄と寺院でありながら神社(?)のようです 

goeidou-mae

弘法大師空海のお住まいだったのがこの御影堂です

1958年2月8日(昭和33年)国宝に指定

「後堂、前堂及び中門より成る

後堂 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、北面西側端二間庇、
    すがる破風造、東面向拝一間
前堂 桁行四間、梁間五間、一重、北面入母屋造、南面後堂に接続

中門 桁行二間、梁間一間、一重、西面切妻造、東面前堂に接続

総檜皮葺」                
                        (国宝のデータベースによる)

goeidou-gohouin

後堂(南側)です
朱色の3つの点がみえます
御宝印です 御影堂の全部の柱にあります


後堂には 空海の念持仏木造不動明王坐像があります
いやあるそうです
秘仏です・・・今では誰も見たことがない不動明王坐像

姿を見せたのは 蓮華門(国宝)で高野山に旅立つ空海(弘法大師)を見送ったとき
涙を流して別れを惜しんだ
お不動さんが歩いた跡に蓮華が咲いたとのこと・・・・・

蓮華門の別れ以来 人々の前に姿を現したことがないことがない・・・トップクラスの秘仏です


国宝のデータベースによると
木造不動明王坐像(御影堂安置)
時代 平安
国宝指定年月日 1955年6月22日(S30/6/22)

データが少ない
ところで完全秘仏って どうやって国宝に指定したのでしょうか
国宝指定以前は そんなに完全の秘仏ではなかった話もあるようですが
分かりません・・・・・(謎)


goeidou-fudo

東日本大震災復興祈願の護摩を焚かれたようです


護摩法要・・・・護摩が焚かれる・・・・・・えっ、御影堂は国宝です
国宝の建物で護摩を焚く(火を焚く)・・・・大丈夫でしょうか

でも国宝指定のずーっとまえから護摩法要はありますからね

東寺・生身供(しょうじんく)

今回は、東寺で行われている生身供(しょうじんく)です

生身供とはなんでしょうか

835年 空海は、高野山奥の院にご入定になりましたが
いまも弘法大師が生きておられます(生きているがごとく)
あくまでも入定ですからね

朝6時から 一の膳・二の膳・お茶をお供えすることです
平たく言えば弘法大師空海のお食事ですね

うん?高野山で入定・・・・・・東寺でも生身供
そうです「身は高野、心は東寺に納めおく」ですから

まあそういうことで(どういうこと?)お願いして

それでは東寺へ 生身供に参加してみましょう

いつものように九条通方面から雪丸Ⅲとともに東寺へ
この時期(3月10日) この時間(5:45) まだ暗い すでに五重塔のライトアップが消えている
節電でしょうか 以前より消灯が早くなったようです

大宮通を北上して慶賀門横から境内に
塀のすぐ横が自転車&バイク置場です 地元の方は御影堂の門の前まで
乗り入れるが 上洛組は遠慮して指定の駐輪場に・・・です


早朝は、御影堂の門の前まで大丈夫ですが それ以外は駐輪場に置かないと
注意が貼られます・・・・・経験者は語るです(汗)・・・反省

syoshingu-kinshi

御影堂(大師堂)エリアは、自転車乗入れ・通過は禁止です


syoshingu-0

3月10日の5時50分 こんな感じの暗さです  
食堂(じきどう)の周りの寄進者名のライトが明るい


5時45分頃、人々が集まってくる 地元の方たちです
6時になると鐘が鳴り始めて 門が開かれる

みなさん門の中に2・3歩進む 
しかし、ここで油断してはいけません ここで止まらなければなりません

syoshingu-mon

土日になると白装束に輪袈裟を付けた方 そして観光客(一見さん?)が来られますが
門から入って御影堂に向うと「まだ入ったらあかんで」と注意されます

そうなんです 鐘が10回(11回?)鳴り終えないと入ってはいけません
なぜかって?聞いたことがないので分かりません・・・(準備完了のお知らせでしょうか)

さあ10回鳴りました 御影堂のあるエリアに門で一礼してから進む
心なしかこのエリアは空気感が違うような・・・・(気のせいか) 

靴を揃えて外陣に入る
参加者ほとんどが地元のじっちゃん&ばっちゃんです
座る場所も決まっているようで 上洛組の私は 控えめに少し後の方に座ります(笑)
すでに僧侶の方が正面に座っている

ほどなくすると 正面に座ったおじちゃんが(決まっています)
「無上甚深微妙法 百千萬・・・・・・・・・・・・」開経偈からスタートです
みなさん続きます 
もちろん私も「弟子某甲 盡未来際・・・・・・」

syoshingu-2

みなさんこれをお持ちです
「東寺真言宗 在家勤行法則」 東寺で手に入ります
800円だったと思います(何年か前に購入したので今の価格は分かりません)

御影堂のご本尊が御開帳され 順次食事が運ばれてきます

御影堂のご本尊は、弘法大師坐像です
生身供法要の時間に御開帳されます 
しかし、距離があり御簾?でよく分かりません(見えない)

弘法大師といえばこの坐像というように後世の弘法大師像の規範となった有名なものです


もちろん国宝指定です 2000年6月27日指定 意外と新しい指定ですね

国宝・・・・国宝ならばこちらのデータベースにあるはずだ
文化庁のデータベースにアクセスするとありました


西院御影堂【みえいどう】の本尊で、左手膝上で掌を仰ぎ念珠(水晶製・後補)を
右手屈臂して胸前で五鈷杵(木製)を執り、椅子(後補)に坐すいわゆる
真如親王様【しんにょしんのうよう】の弘法大師像である。

ヒノキ材の寄木造で、頭躰幹部は左右二材よりなり、内刳のうえ割首する。
面部を割矧ぎ玉眼を嵌入する。躰部背面に板材(左右二材)を当て、両躰側部、両脚部に各一材を矧ぐ

像底地付から最大一三・二センチメートルの高さの位置に棚状の刳り残しを作る。
X線透過写真から像内面相部中央および腹部中央に巻子が縦に取り付けられているのが
判明する。
表面は、錆下地、彩色仕上げとするが、現状は黒漆地を表している。
五鈷杵は左右二材製、漆箔仕上げになる。

この像の安置された西院北面は御影堂と称され、西院御影供の大衆的広まりとともに
大師信仰の中心地となり、一方本像は、後世数多く作られる大師像の根本となる。
                    
『東宝記』第三(西院)によれば、本像は、天福元年(一二三三)十月十五日
親厳僧正の寺務のときに安置され、作者については仏師康勝【こうしょう】法眼とある。

また東寺百合文書の「教王護国寺西院御影供始行事」(甲号外一八号(4))に
この像は当初は西院不動堂南面妻戸の内に安置され、のち延応二年(一二四〇)に
北面に移されたとある。
この文書には康勝作と明記されており、同時代の文献なので作者の比定は間違いないであろう
                 (文化庁 国指定文化財等データーベースより抜粋)

康勝といえば 念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承の
空也上人像が有名ですね (六波羅蜜寺)

説明が長くなりましたが

syoshingu-taishido

御影堂(大師堂)




生身供は、光明真言和讃
「光明真言功徳力諸仏菩薩の光明を二十三字に・・・・・・・」が始まる

そして弘法大師和讃と続いて行く
「真言宗旨の安心は人みなすべて隔てなく・・・・」
「南無大師遍照尊」三反・・・・

続いて般若心経が始まる このころ6時25分頃には大師のお食事は終了
1人の僧侶の方が 赤い袋のようなものを持って登場

みなさん膝をついて前の手すり(結界)に肘をかける
すると始めは頭に 次に両手に当てながら「南無大師遍照金剛」と唱えられる

そうです この赤い袋に入っているのがお舎利さん(仏舎利)です
このお舎利さんのお授けは右(西)から順番に行われる

満員で入る隙間がないときがありますが ご心配なく
左(東)に行ったら またお授けは戻ってきます
お授けが終った方はすみやかに後に下がるのが礼儀のようです

東寺にある仏舎利(釈迦の遺骨)は、空海が青龍寺の恵果から
授かったもので80粒です
それが
天暦四年(950)に4,794粒・・・天喜二年(1054)に4,325粒・・・になった
増えたり減ったりする
なぜだろうか 東寺に伝わる話では仏舎利は天下豊穣の時は増え
衰頽すると減るのだそうだ  理由は、分からないらしい・・・とのこと

現在は、いくつになっているのでしょうか・・・・・減ったのでは
早く増えるといいですね

syoshingu-yotei

3月の予定表です


皆様も上洛の際は、ちょっと早起きして生身供に参加してください
新しい京都が発見できるかも・・・・・です

生身供は、昨日も今日もそして明日も この先もずっと続きます・・・・朝6時です

合掌&南無大師遍照金剛 7反



京都マラソンby雪丸Ⅲ

3月11日 晴そして曇り
第1回京都マラソンに出かけた  ランナーではなく応援で参加です

応援は ポイントを決めて雪丸で先回りする

朝、6時20分起床で 足のために30分位走った(自転車)
もうすでに交通整理の方々が準備を進めている
朝は3月だというのに寒い  防寒キャップ+ヘルメット

7時20分 スタートの西京極総合運動公園に到着する
しかし、西京極総合運動公園には初めて来たので さっぱり勝手が分からない

kyo-m-map

京都マラソン応援MAPです


なんとか待合わせ地点にたどり着く  初めてお会いする方にご挨拶・・・
本日の応援ランナーは2人  応援部隊は5名(自転車移動は2名)

kyo-m-mega

西京極総合運動公園
京都市消防SUPER COMMAND RESUCUE TEAMのメガクルーザー君登場!

各部門の挨拶が終り 本日は、3・11黙祷です・・・・・・・・・・・・・・・合掌
「絆」のチャリティーワッペン 「3・11 忘れない」
「一歩ずつ前へ」「今、私にできること」という支援メッセージ入りゼッケンで走る

kyo-m-kuruma

車いす競技からスタート・・・・「ガンバレー」の声援が飛ぶ

8時30分スタート  15000人のスタートです 気温は6.5度
なんとか2人のランナーを見つけて手を振って「ガンバレー」
すごいランナーの数・・・42.195kmの始まりです ゴールの平安神宮大鳥居を目指して!


さあ、こちらも移動です 最初の応援ポイントは仁和寺前です。
葛野大路を北にまっすぐ上ル 道が細くなるが何度も走ったことがある道
妙心寺の境内を抜ける 一条通に出て仁和寺前信号へ そして仁和寺仁王門前に移動

kyo-m-nin

仁和寺仁王門前
こ、こ、これは・・・・・「仁和寺に、ある法師」の集団応援ではないか(笑)・・・ウケた

電車組の皆さんと合流して何とか2人のランナーに声援
あれだけのランナーの中からお目当ての選手を捜すのはそりゃもうたいへんです
目が疲れます
ここで「マスター」が合流  6名体制の応援団となりました

さあ、移動です 次は北山通と下鴨中通の交差点
一条通をひたすら東へ 西大路を越えて天神通を左へ今出川に
北野天満宮の御前通を北へ寺之内通を東へ堀川から鞍馬口へ出雲路橋を渡る
早いランナーはもう河川敷コースを走っている
橋の上からの応援もかなりいました

下鴨中通の折り返し地点に到着 応援で満員
雪丸を置いて歩いて北山通に徒歩移動

kyo-m-kyusui

給水ステーション 
スポーツドリンクコーナーではドリンクのニオイが・・・・・・・結構します

2人ともに無事通過・・・・・・がんばっている「ファイト!」

さあ、最後は、ゴール手前仁王門通

南に下ル 河川敷をランナーが走り抜ける
出町を越えて河原町通を南下

車がいない 路線バスのみだ  センターラインに沿って走る 快走です

二条通を東に入ル ゴールが近いので人が多くなったので三条通まで出て
岡崎通を上ル そして広道橋手前に到着

残念ながら1人目はすでにゴールしていて間に合わなかった

kyo-m-ran

待つこと30分 2人目のランナーが無事通過・・・・あと少しでゴールだ

2人とも42.195km無事完走でした・・・・「都の風」になった お見事「感動した!」

このあと全員で平安神宮応天門前で 「祝・完走」記念写真


感想です・・・・・
同じ日(3・11)に行われた名古屋ウィメンズマラソンでも同じ現象があったらしいが
仮設トイレが少なすぎる(下鴨中通)  

スタッフのお揃いのジャンバーや帽子を作る費用を
仮設トイレに回してもよかったのでは(あくまでも応援部隊の意見です)
トイレ待ちのランナーが辛そうでした

車の方には申し訳ないが ノーカーデーが浸透していたのか
自転車は非常に快適で京都の違った楽しみを見つけてしまいました

第2回京都マラソン・・・・期待しています




第1回京都マラソンDATA

出走者合計:14,093名

完走者合計:13,442名

完走率:95.4%

(ペア駅伝、車いす競技含む)

沿道での観衆は48万2000人
(毎日新聞)

五劫思惟阿弥陀如来

今回は、五劫思惟阿弥陀如来(ごこう)のご紹介です
    

全国的に珍しく作例が少ない仏様です

阿弥陀如来の異形のひとつ  四十八の大願を成就するために永い間
坐禅・思惟していた。 髪の手入れをすることも忘れて・・・・・
ゆえに このような髪型(アフロ)になりました


劫(こう)とは?なんでしょうか
それは時間の単位です。

どれだけの時間と言えば 40里四方(一辺160km)の大きな岩の上に
100年に1度とか300年に1度とか(諸説色々あり)天女が舞い降りてきます。 
そして着ている羽衣でヒラリと岩をひと擦りするとほんの少し岩が磨り減ります。

この一辺160kmの巨大な岩が、磨り減ってすべてなくなってしまう
までの ものすごく長い時間を一劫と言います。

たとえが凄いですね 

五劫とは、その5倍のです。
(よく分からない想像すらつかない長い長い~時間ということですね)

そのような長い長い~時間 いかに衆生を救うかを思惟して修行をしその結果
髪の毛が伸びて螺髪を積み重なった頭となりました
そんな様子を形にしたのが五劫思惟阿弥陀如来です

落語にも出てきますね 
有名で皆さんも一度はお聞きになったことはあると思います

落語「寿限無」
寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、
食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、
パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助



ところで五劫思惟阿弥陀如来といえば
奈良東大寺にある鋳造の五劫思惟の阿弥陀如来が有名ですが
京都市内にも見ることができる場所があります

こちらは石仏です
一番有名なのは
金戒光明寺の墓所にある通称「アフロ石仏」と呼ばれている仏様です
新聞や雑誌に登場します
特異な容姿のためでしょうか人気があります

今では、奈良東大寺にある鋳造の五劫思惟の阿弥陀如来よりも
いつでも誰でも会いにいけることで有名になったようです
5ko-kurotani-1

墓地の三重塔に続いている石段の脇(塔に向って)左側にあります
手前に地蔵菩薩立像がありすぐ分かります

5ko-kurotani-up

良いお顔です  なんかホッとします
35/00/56.1  135/47/29.2  ±4m  日本測地系

5ko-kurotani-2

隣に新しくお墓が建ちました 手すりも付きました
周りは、変わっていくようですね



次は、百万遍の知恩寺です

知恩寺の墓地には3体の五劫思惟阿弥陀如来があります


知恩寺の墓地の門を過ぎて中央南北墓道を進んでください
正面に生垣で囲まれた場所があります
後西天皇皇女の墓域です

このすぐ奥(北)に1体目の五劫思惟阿弥陀如来がお待ちです

5ko-chion-1

35/01/39.0  135/47/03.2  ±4m 日本測地系
赤い屋根の後には大文字が見えます
一度、大文字の送り火を五劫思惟阿弥陀如来越しに見てみたいのですが
20時 開始ですので(夜の墓地)遠慮しておきます(汗)

さらに奥(北)に進むと圓光大師(法然上人)の本廟があります
5ko-honen

圓光大師(法然上人)本廟

左(西)に進んでください 鳥居元忠の墓所に向う手前 左側にお待ちです
2体 並んでいます

5ko-chion-2

35/01/39.3  135/47/02.6  ±3m  日本測地系
残念ですが磨耗があり表情は 少し読取りにくい



この4体の五劫思惟阿弥陀如来がどういう理由で置かれたのか
個人の霊を慰めるために建立されたものと思われますが・・・・

それとなぜ他の仏様ではなく五劫思惟阿弥陀如来を選ばれたのか
よほど思案することがあったのでしょうか


一度、ご覧になってください
しかし、墓地であることをお忘れなく・・・・・お静かに・・・・・・合掌
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