引き続き伊藤萬蔵氏のお話です
以下の四ヶ所は、とくに思い出があります
最初は、京都府亀岡市の穴太寺(あなお) 寺標 大正8年3月
西国三十三観音 第二十一番札所です。
萬蔵は、仁王門 右側にあります。
しかし、違和感があります 新しいのだ 原因は交通事故(たぶん)
新しく作り直してある 普通なら作り直しは新しく寄進してもらうのでろうが
ここは忠実に再現されている 萬蔵の名と大正8年3月も元のままなのだ
西国三十三観音 第二十一番札所 穴太寺の萬蔵寺標(新しい)
しかも門の内側に萬蔵碑の元碑が修理されて建っている
捨てられてしまう元碑が 完璧に保存されている(完コピです)
旧萬蔵寺標・・・・おそらく交通事故
感心する。感動した。こういったお寺もあるのだと・・・・・感謝&合掌
京都府八幡市の岩清水八幡宮
そうです吉田兼好「徒然草」第52段に登場しますね 山の上にあります。
萬蔵を確認に行った 手がかりは「常夜灯」だけ・・・・・
八幡宮に着くと 常夜灯の数に驚いた 一体どれくらいあるのだろうか
本殿に続く参道だけ見ても・・・徒然草ではないがまだ麓にも その途中にもある
「心が折れた」(笑)
帰宅してから一宮のY氏を通じて田野尻氏に聞いていただいて場所を教わった
しかし、どうして「常夜灯」とあるだけなのに分かったのか調査方法を質問してみた
回答は、1本1本確認したとのこと・・・・・こちらにも感心する。感動した。
まさに「先達はあらまほしき事なり」
三ノ鳥居の少し本殿に向った石畳に自然石が埋められています
通称「一個石」と言います。別名を「亀石」「お百度石」とも呼ばれています
お百度参りの起点となっているようですが それにしても本殿まで
距離が長い・・・・・時間がかかりそうです・・・相当気合がいります
説明が長くなりましたが その一個石の斜め右前方に御鳳輦舎があり
その南側奥に目指す萬蔵常夜灯があります
萬蔵常夜灯です
34/52/28.0 135/42/12.3 ±5m 日本測地系
八幡社つながりで九州の総八幡社の宇佐八幡宮に出かけた
参拝が目的で訪れたが 萬蔵探索も兼ねて・・・・・・・・・
太宰府天満宮にあるのだから宇佐八幡宮にもあるはずです・・・・かも
しかし、限られた時間だったので ざっと調べてみたが見つからない
調査対象が多すぎる
萬蔵探索専門で調査してみたいものです 1日では足らないと思いますが・・・・
京都市伏見区の誕生寺です 大正8年5月の寺標があります
誕生寺の萬蔵の発見は、揚谷寺の寺標を確認に行く途中のまったくの偶然だった。
車中から偶然発見した。2009年9月8日の朝 府道水垂上桂線
34/56/30.2 135/44/10.9 ±5m 日本測地系
写真 位置データを取り 一宮市のY氏を通じて田野尻氏に確認していただいたところ
萬蔵新寄進物と確認された
誕生寺は、まったく知らなかったが 萬蔵氏が縁で知ることになりました
曹洞宗の開祖道元禅師の誕生した地として(諸説アリ) 1919年(大正8年)に
永平寺の日置黙仙禅師が仮本堂を建立して越前の妙覚寺を移した。
萬蔵氏の寺標は、大正8年5月なので この時の寄進と思われます
1941年(昭和16年)寺号を誕生寺と改名し、1982年(昭和57年)から本堂などが再建され
現在に至る
妙覚寺の文字が埋められ(消され)ている
妙覚寺の文字が埋められ(消され)ているのは こういった事情からでしょう
「誕生山 妙覚寺」 → 「妙覚山 誕生寺」に変更されて
萬蔵氏の寺標も消されて後向きになったのでしょう
廃棄されなかったのが幸いでした(再利用)
京都では、やはりここですね 東寺です。
「身は高野、心は東寺におさめおく」ですからね
弘法大師に心酔していただろう
萬蔵氏もここだけは力を入れて寄進したのでしょう
香台が三ヶ所 金堂・講堂・食堂の前に置かれています
ここの香台は、一度はご覧になったことがあると思います
堂々たる姿 大きさ・加工どれをとっても No.1寄進物でしょう(私見です)
下世話な話ですが 一体金額は・・・・でしょうか(笑)
金堂前の香台
金堂前の香台と五重塔
あと一ヶ所は、大師堂南にある香台です。
仏頂尊勝陀羅尼碑前にあります。・・・いやありました
「尊勝陀羅尼碑は叡山の願海が北野天満宮 宗像社のそばに嘉永6年(1853)に
建てられ慶応4年(1868)神仏分離令によって東寺に移された」 東寺の駒札より
1853年の建立時、萬蔵は20歳で陀羅尼碑と香台がセットとは考えにくい
東寺に移された時に 東寺にすでにあった何かの前にあった香台を
陀羅尼碑の前に置いたのか・・・・・
食堂 講堂 金堂の香台は寄進時期は大正13年と14年 時期がかなり違っている。
その陀羅尼碑の前 香台が一時無くなってしまった
無くなった時期は不明ですが2010年5月に無いことに気付いた
東寺のどの部署のどなたにお聞きしたらいいのか
まったく分からないので住職室の前で出待ちした(笑)・・・・・
しばらくすると(5分くらいだったが)僧侶の方が出てみえた
萬蔵香台が陀羅尼碑の前にあったときの写真と萬蔵香台のアップの写真を用意
資料(写真など)と伊藤萬蔵の紹介をさせていただき なぜ香台が無くなったか
僧侶の方に質問してみた
すると「陀羅尼碑の回りを触りながら回り易いように整備した」とのことでした
そのときに香台は取除いたようです
香台があったことはご存知でしたが伊藤萬蔵のことはご存知なかった。
それに陀羅尼碑の並びには 10点ぐらいの石造物があり その前に置いてある
香台やローソク立てなどは 本来どれのものかは不明で移動した可能性があるとのことでした
しかし香台が無くなっているのは事実なので
有名な寄進者として再度、萬蔵のことを説明すると「調査してなるべく元に戻すようにする」
との回答でしたので 今後追跡調査の必要があると思っていた
2010年8月1日 東寺に行き確認できました 復活です うれしい限りです
尊勝陀羅尼碑から西に15m位の「南無大師遍照金剛碑」です
その前に ロウソク立てが取り外され 足も確認できます
あらためて東寺の方々に御礼申し上げたい・・・・・合掌
南無大師遍照金剛碑は天保2年1831年 建立
北野元願成就寺境内建
北野経王堂願成就寺のことなのか?それなら「応永八年(1401)に北野社(北野天満宮)の
社頭西に東山の三十三間堂の倍半という大堂を建立し「北野経王堂願成就寺」と名付け
毎年十月、十日間にわたって万部経会及び経典書写などの仏事を行い
供養しました」とのことらしいので
尊勝陀羅尼碑と同じ運命(神仏分離令)で東寺に来たものなのかもしれない
34/58/41.3 135/44/57.5 ±3m 日本測地系
南無大師遍照金剛・・・・・七反
以上が、今のところ確認した萬蔵寄進物ですが
京都にはまだまだあると確信しています
捜索のポイントは、弘法大師に関連した所、有名寺院・神社・観音様・旧街道沿いも
可能性があると聞いた
西国三十三観音札所には ほとんど寄進物が存在する
そうなると
〇六波羅蜜寺 西国三十三観音十七番
〇醍醐寺
(上醍醐 准胝堂) 西国三十三観音十一番
上記の二ヶ所では 今だ発見されていない
あと西国三十三観音札所関係では
〇華頂山 元慶寺(山科区) 西国三十三観音番外
ここも以前一度調査したが今だ発見されていない
〇松尾寺 京都府舞鶴市 寺標 西国三十三観音二十九番
〇成相寺 京都府宮津市 寺標 西国三十三観音二十八番
この二ヶ所は確認されていますが
私自身確認に行っていません
比叡山・・・・・・うーん こちらにはないかも・・・・・
三井寺(滋賀)にはある。
円仁派延暦寺(山門)VS円珍派三井寺(寺門)・・・・・考えすぎ推察でしょうか(笑)
しかし、安心してはいけません
萬蔵氏の墓所は、名古屋市昭和区の誓願寺
このお寺は、浄土宗法喜山誓願寺で元亀3年(1572)信長の頃、清洲に建立され
その後、名古屋城下の白川町に移り、戦災に遭い今の地に再建された。
開祖が比叡山の桜を境内に植え、桜とともに歴代繁栄したので、桜誓願寺と呼ばれている。
出てきましたね「比叡山」・・・・・やはり怪しい(笑) 調査が必要ですね
同じ名前つながりで中京区新京極通の
浄土宗西山深草派の総本山の誓願寺はどうだろうか
何度もおじゃましているが「猫さん」の記憶のみ 再調査ですね
東寺にあって仁和寺にある・・・・・・・うーん
そうなると北区西賀茂の神光院(太田垣蓮月の)が怪しいと・・・
残念ながら未発見です
最後に
愛宕神社 絶対怪しいのですが 登りながら1本1本確認するのは・・・きつい
あとは皆様の直感と卓越した臭覚(笑)で見つけ出していただきたいです
これからも萬蔵探しは続いてゆく・・・・・
石碑や石物探索には今の季節がベストシーズンです(雑草がなくなる)
当ブログをご覧いただいている方は 京都が好きな方 京都の達人の方が
大勢いらっしゃると思います
そこでみなさまの力をお借りしようと公開捜査(誘拐事件?笑)に踏みきりました
京都市付近で「伊藤萬蔵」を発見または ご存知の方はぜひお知らせ下さい
よろしくお願い致します
以下の四ヶ所は、とくに思い出があります
最初は、京都府亀岡市の穴太寺(あなお) 寺標 大正8年3月
西国三十三観音 第二十一番札所です。
萬蔵は、仁王門 右側にあります。
しかし、違和感があります 新しいのだ 原因は交通事故(たぶん)
新しく作り直してある 普通なら作り直しは新しく寄進してもらうのでろうが
ここは忠実に再現されている 萬蔵の名と大正8年3月も元のままなのだ
西国三十三観音 第二十一番札所 穴太寺の萬蔵寺標(新しい)
しかも門の内側に萬蔵碑の元碑が修理されて建っている
捨てられてしまう元碑が 完璧に保存されている(完コピです)
旧萬蔵寺標・・・・おそらく交通事故
感心する。感動した。こういったお寺もあるのだと・・・・・感謝&合掌
京都府八幡市の岩清水八幡宮
そうです吉田兼好「徒然草」第52段に登場しますね 山の上にあります。
萬蔵を確認に行った 手がかりは「常夜灯」だけ・・・・・
八幡宮に着くと 常夜灯の数に驚いた 一体どれくらいあるのだろうか
本殿に続く参道だけ見ても・・・徒然草ではないがまだ麓にも その途中にもある
「心が折れた」(笑)
帰宅してから一宮のY氏を通じて田野尻氏に聞いていただいて場所を教わった
しかし、どうして「常夜灯」とあるだけなのに分かったのか調査方法を質問してみた
回答は、1本1本確認したとのこと・・・・・こちらにも感心する。感動した。
まさに「先達はあらまほしき事なり」
三ノ鳥居の少し本殿に向った石畳に自然石が埋められています
通称「一個石」と言います。別名を「亀石」「お百度石」とも呼ばれています
お百度参りの起点となっているようですが それにしても本殿まで
距離が長い・・・・・時間がかかりそうです・・・相当気合がいります
説明が長くなりましたが その一個石の斜め右前方に御鳳輦舎があり
その南側奥に目指す萬蔵常夜灯があります
萬蔵常夜灯です
34/52/28.0 135/42/12.3 ±5m 日本測地系
八幡社つながりで九州の総八幡社の宇佐八幡宮に出かけた
参拝が目的で訪れたが 萬蔵探索も兼ねて・・・・・・・・・
太宰府天満宮にあるのだから宇佐八幡宮にもあるはずです・・・・かも
しかし、限られた時間だったので ざっと調べてみたが見つからない
調査対象が多すぎる
萬蔵探索専門で調査してみたいものです 1日では足らないと思いますが・・・・
京都市伏見区の誕生寺です 大正8年5月の寺標があります
誕生寺の萬蔵の発見は、揚谷寺の寺標を確認に行く途中のまったくの偶然だった。
車中から偶然発見した。2009年9月8日の朝 府道水垂上桂線
34/56/30.2 135/44/10.9 ±5m 日本測地系
写真 位置データを取り 一宮市のY氏を通じて田野尻氏に確認していただいたところ
萬蔵新寄進物と確認された
誕生寺は、まったく知らなかったが 萬蔵氏が縁で知ることになりました
曹洞宗の開祖道元禅師の誕生した地として(諸説アリ) 1919年(大正8年)に
永平寺の日置黙仙禅師が仮本堂を建立して越前の妙覚寺を移した。
萬蔵氏の寺標は、大正8年5月なので この時の寄進と思われます
1941年(昭和16年)寺号を誕生寺と改名し、1982年(昭和57年)から本堂などが再建され
現在に至る
妙覚寺の文字が埋められ(消され)ている
妙覚寺の文字が埋められ(消され)ているのは こういった事情からでしょう
「誕生山 妙覚寺」 → 「妙覚山 誕生寺」に変更されて
萬蔵氏の寺標も消されて後向きになったのでしょう
廃棄されなかったのが幸いでした(再利用)
京都では、やはりここですね 東寺です。
「身は高野、心は東寺におさめおく」ですからね
弘法大師に心酔していただろう
萬蔵氏もここだけは力を入れて寄進したのでしょう
香台が三ヶ所 金堂・講堂・食堂の前に置かれています
ここの香台は、一度はご覧になったことがあると思います
堂々たる姿 大きさ・加工どれをとっても No.1寄進物でしょう(私見です)
下世話な話ですが 一体金額は・・・・でしょうか(笑)
金堂前の香台
金堂前の香台と五重塔
あと一ヶ所は、大師堂南にある香台です。
仏頂尊勝陀羅尼碑前にあります。・・・いやありました
「尊勝陀羅尼碑は叡山の願海が北野天満宮 宗像社のそばに嘉永6年(1853)に
建てられ慶応4年(1868)神仏分離令によって東寺に移された」 東寺の駒札より
1853年の建立時、萬蔵は20歳で陀羅尼碑と香台がセットとは考えにくい
東寺に移された時に 東寺にすでにあった何かの前にあった香台を
陀羅尼碑の前に置いたのか・・・・・
食堂 講堂 金堂の香台は寄進時期は大正13年と14年 時期がかなり違っている。
その陀羅尼碑の前 香台が一時無くなってしまった
無くなった時期は不明ですが2010年5月に無いことに気付いた
東寺のどの部署のどなたにお聞きしたらいいのか
まったく分からないので住職室の前で出待ちした(笑)・・・・・
しばらくすると(5分くらいだったが)僧侶の方が出てみえた
萬蔵香台が陀羅尼碑の前にあったときの写真と萬蔵香台のアップの写真を用意
資料(写真など)と伊藤萬蔵の紹介をさせていただき なぜ香台が無くなったか
僧侶の方に質問してみた
すると「陀羅尼碑の回りを触りながら回り易いように整備した」とのことでした
そのときに香台は取除いたようです
香台があったことはご存知でしたが伊藤萬蔵のことはご存知なかった。
それに陀羅尼碑の並びには 10点ぐらいの石造物があり その前に置いてある
香台やローソク立てなどは 本来どれのものかは不明で移動した可能性があるとのことでした
しかし香台が無くなっているのは事実なので
有名な寄進者として再度、萬蔵のことを説明すると「調査してなるべく元に戻すようにする」
との回答でしたので 今後追跡調査の必要があると思っていた
2010年8月1日 東寺に行き確認できました 復活です うれしい限りです
尊勝陀羅尼碑から西に15m位の「南無大師遍照金剛碑」です
その前に ロウソク立てが取り外され 足も確認できます
あらためて東寺の方々に御礼申し上げたい・・・・・合掌
南無大師遍照金剛碑は天保2年1831年 建立
北野元願成就寺境内建
北野経王堂願成就寺のことなのか?それなら「応永八年(1401)に北野社(北野天満宮)の
社頭西に東山の三十三間堂の倍半という大堂を建立し「北野経王堂願成就寺」と名付け
毎年十月、十日間にわたって万部経会及び経典書写などの仏事を行い
供養しました」とのことらしいので
尊勝陀羅尼碑と同じ運命(神仏分離令)で東寺に来たものなのかもしれない
34/58/41.3 135/44/57.5 ±3m 日本測地系
南無大師遍照金剛・・・・・七反
以上が、今のところ確認した萬蔵寄進物ですが
京都にはまだまだあると確信しています
捜索のポイントは、弘法大師に関連した所、有名寺院・神社・観音様・旧街道沿いも
可能性があると聞いた
西国三十三観音札所には ほとんど寄進物が存在する
そうなると
〇六波羅蜜寺 西国三十三観音十七番
〇醍醐寺
(上醍醐 准胝堂) 西国三十三観音十一番
上記の二ヶ所では 今だ発見されていない
あと西国三十三観音札所関係では
〇華頂山 元慶寺(山科区) 西国三十三観音番外
ここも以前一度調査したが今だ発見されていない
〇松尾寺 京都府舞鶴市 寺標 西国三十三観音二十九番
〇成相寺 京都府宮津市 寺標 西国三十三観音二十八番
この二ヶ所は確認されていますが
私自身確認に行っていません
比叡山・・・・・・うーん こちらにはないかも・・・・・
三井寺(滋賀)にはある。
円仁派延暦寺(山門)VS円珍派三井寺(寺門)・・・・・考えすぎ推察でしょうか(笑)
しかし、安心してはいけません
萬蔵氏の墓所は、名古屋市昭和区の誓願寺
このお寺は、浄土宗法喜山誓願寺で元亀3年(1572)信長の頃、清洲に建立され
その後、名古屋城下の白川町に移り、戦災に遭い今の地に再建された。
開祖が比叡山の桜を境内に植え、桜とともに歴代繁栄したので、桜誓願寺と呼ばれている。
出てきましたね「比叡山」・・・・・やはり怪しい(笑) 調査が必要ですね
同じ名前つながりで中京区新京極通の
浄土宗西山深草派の総本山の誓願寺はどうだろうか
何度もおじゃましているが「猫さん」の記憶のみ 再調査ですね
東寺にあって仁和寺にある・・・・・・・うーん
そうなると北区西賀茂の神光院(太田垣蓮月の)が怪しいと・・・
残念ながら未発見です
最後に
愛宕神社 絶対怪しいのですが 登りながら1本1本確認するのは・・・きつい
あとは皆様の直感と卓越した臭覚(笑)で見つけ出していただきたいです
これからも萬蔵探しは続いてゆく・・・・・
石碑や石物探索には今の季節がベストシーズンです(雑草がなくなる)
当ブログをご覧いただいている方は 京都が好きな方 京都の達人の方が
大勢いらっしゃると思います
そこでみなさまの力をお借りしようと公開捜査(誘拐事件?笑)に踏みきりました
京都市付近で「伊藤萬蔵」を発見または ご存知の方はぜひお知らせ下さい
よろしくお願い致します