今回は、マンホールのお話です。「大正5年 下水」のマンホールです。
場所は、35/01/35.0 135/46/09.1 ±4m 日本測地系
もう1枚は同志社幼稚園の前にあります。写真のものは幼稚園まえから南(御所方面)へ いわゆる下ルです
昭和61年にマンホール研究家の林丈二さんによって発見?され、「芸術新潮」の4月号「特集・珍々京都楽しみ図鑑」誌上で発表されたものです またこの時発見された大正2年製のものは、府庁付近との情報だけで住宅地図片手にローラー作戦に出ましたが残念ながら見つけることは出来ませんでした。後日、調べてみたらもう残っていないようです。何処にいってしまったのか?もしかしたら収集家の手によって保存されているのか?
どなたかご存知の方はご一報くだされば幸いです。
なぜ謎のマンホールなのか?
それは京都市は明治27年(1894)に下水道設置の基礎調査を実施したが、財政上などの理由から実現に結び付かなかった。そして、昭和5年(1930)に失業応急事業として下水道事業に着手したのが始まりであるとある。 うーん、どうした大正2年や5年が出てこない 記録上では大正2年や5年にマンホールがあるはずがないのです。また、京都市市制施行が1889年(明治22年)4月1日 京都市き章は明治24年(1891年)10月2日に制定 しかしこのマンホールに京都市き章なし
どこが設置したものか どこが製造したものか ひょっとして裏側に製造したところ(会社)の名前があるかも 未確認です
誰がどのような経緯でこれらを作ったものか、全く分かっていません。こうなったらやはりマンホールの裏側が見てみたい。京都市で許可が出るのかな?
ところで今週末は、愛宕神社の千日詣です。がんばるぞっと! 暑いでしょうね いや熱いが正解かもです
場所は、35/01/35.0 135/46/09.1 ±4m 日本測地系
もう1枚は同志社幼稚園の前にあります。写真のものは幼稚園まえから南(御所方面)へ いわゆる下ルです
昭和61年にマンホール研究家の林丈二さんによって発見?され、「芸術新潮」の4月号「特集・珍々京都楽しみ図鑑」誌上で発表されたものです またこの時発見された大正2年製のものは、府庁付近との情報だけで住宅地図片手にローラー作戦に出ましたが残念ながら見つけることは出来ませんでした。後日、調べてみたらもう残っていないようです。何処にいってしまったのか?もしかしたら収集家の手によって保存されているのか?
どなたかご存知の方はご一報くだされば幸いです。
なぜ謎のマンホールなのか?
それは京都市は明治27年(1894)に下水道設置の基礎調査を実施したが、財政上などの理由から実現に結び付かなかった。そして、昭和5年(1930)に失業応急事業として下水道事業に着手したのが始まりであるとある。 うーん、どうした大正2年や5年が出てこない 記録上では大正2年や5年にマンホールがあるはずがないのです。また、京都市市制施行が1889年(明治22年)4月1日 京都市き章は明治24年(1891年)10月2日に制定 しかしこのマンホールに京都市き章なし
どこが設置したものか どこが製造したものか ひょっとして裏側に製造したところ(会社)の名前があるかも 未確認です
誰がどのような経緯でこれらを作ったものか、全く分かっていません。こうなったらやはりマンホールの裏側が見てみたい。京都市で許可が出るのかな?
ところで今週末は、愛宕神社の千日詣です。がんばるぞっと! 暑いでしょうね いや熱いが正解かもです