以前「雪丸の京都散歩」でも紹介しました

奈良街道~旧東海道2011年10月15日

旧東海道~京師・三条大橋2012年06月21日

追分の道標 柳緑花紅碑です



少し復習です(笑)

場所は滋賀県大津市追分町

大きさは 幅24cm×奥行25cm× 高155cm
碑 文
(北面)
 法名
  柳緑花紅
 未徴
(東面)
  みきは京みち

(南面)
  ひたりはふしみみち
(西面)
  昭和廿九年三月再建  (1954年(再建))

ここで問題は、昭和廿九年三月再建とあることです
再建なのですから何か事情があって再び建てられたとのことですから
破損したので作り直したということでしょう


yanagi-2007-s29

昭和廿九年三月再建  まだ隣に蓮如上人碑があります

破損しただろう元の碑(原碑)は何処に行ったのでしょうか
廃棄されてしまったのか・・・・

いや原碑は、大津市の琵琶湖博物館に保存されている
(現在は、滋賀県立安土城考古博物館に移動)

「京都の道標」出雲路 敬直 著には

「昔から非常に有名であったらしく、模造品が庭石にもなっている

今現在、建っている柳緑花紅碑は昭和二九年三月再建(本は28年)
原碑は琵琶湖博物館に移設
しかし、いたんでもいない道標をなぜ模造品と取り替える必要が
あったのか解釈に苦しむ」とある


この原碑のことは知っていたが琵琶湖博物館に確認に行っていなかった 

あまりに有名な道標なので模造品を作って
原碑は保存した・・・と自分勝手に判断していた
「再建」と入っているのは気にかかったが

現在では有名な石碑・名前が付いているような灯籠・手水鉢・蹲などは
レプリカが作られていて庭の景色の一つに使われています


再建される道標の条件は、やはり有名なものでしょう
再建させようとする情熱もありますね
もちろん予算のことも無視できない・・・

以前もお話したように道標・石碑の破損はほとんど交通事故
道標・石碑は、地面に出ている部分より埋まっている部分の
ほうが倍以上ある
車などにぶつけられたとき地面に出ている部分の根元が
支点となってそこから折れる
倒れたときの衝撃で多くの場合は二つに折れる

二つに折れた部分は修復できるが問題は根元の部分
短くなったので建てようとすると碑文も埋まってしまい
一部が隠れてしまう
埋める長さが足りないと倒壊する可能性がある(危険)

柳緑花紅碑の隣のあった「蓮如上人 是より十町」碑
建立年 明和3年 (1766年)
建立者
寸 法 高76×幅24×奥行23cm
碑 文
[東]
  蓮如上人
[南]
  是より十町
[北]
  明和三丙

oiwake2007-11

どこかにいってしまったが 追分より旧東海道を西に80m
放光山 閑栖寺(かんせいじ)真宗大谷派に保管されている

「蓮如上人 是より十町」碑を見てみるとなくなる前から地下に埋まって碑文に一部が見えなかった
建立された年は1776年・・・200年以上前です
破損したのではなく道路工事等で道路自体が上がったのかもしれない

蓮如上人の下は「御塚道」
是より十町の下は「南」
明和三丙の下は「戌〇月」  以上想像です

yanagi-rennyo

閑栖寺

倒壊したのは交通事故でしょう
高さが低く花崗岩で硬かったので二つに折れなかったと思われます
このように折れた道標はただ地面に置く・・・土台を作って道標とつなぐ
の方法で再度同じ場所に建てられることがあります


柳緑花紅碑に戻りますが
「柳緑花紅碑」の原碑といわれているものを確認してきました

琵琶湖博物館にあったものですが現在は滋賀県立安土城考古博物館にあります

yanhi-siga-dohyo-2


yanahi-siga-dohyo-1

碑 文
(南面)
 法名
 柳緑花紅
  未徴
(西面)
 みきは京みち

(北面)
 ひたりはふしみみち
(東面)
  何も書いて(彫られて)いません

再建碑と同じだ・・・原碑だからあたりまえなのだが・・・・

ここで「京都の道標」出雲路 敬直 著を思い出す
「いたんでもいない道標をなぜ模造品と取り替える必要が
あったのか解釈に苦しむ」・・・・・・

なるほど確かにきれいな碑です・・・
なぜ「再建」と入れてまで作り替えたのか分かりません

yanhi-siga-komafuda

駒札では、これが原碑と決定している


先日、ある方から傷が入った「柳緑花紅碑」の情報をいただいた
今、道標が建っている大津市追分町髭茶屋から東に直線距離で370m
摂取院に2つに折れた石碑があると・・・・・

確認してきました
浄土宗 光明山摂取院(せっしゅいん) 
滋賀県大津市追分町10-1

yanagi-sesyu

摂取院です

yanagi-sesyu-up

うーん、確かに二つに折れている

yanagi-sesyu-1

碑文もまったく同じ
折れた部分の補修は少々荒っぽいが・・・それに土台がある

この碑こそが「柳緑花紅碑」の元の碑 原碑ではないのかと
そう考えると倒壊したために再建して 追分から近い摂取院に
修理保存・・つじつまが合う

これで一応の説明はできる 
摂取院の「柳緑花紅碑」が原碑ですと・・・・・・

いやこれもレプリカかも・・・本物かも・・・・
一度ご覧になってください