今回は、伏見街道です
いや、街道というより「橋」の話です
伏見街道の橋といえは 「ああ、あの四つの橋」ね といわれるくらい
有名で良い感じの橋(親柱)です
皆さん色々なHPでご紹介されているのでUPすることはなかった
しかし、今年の9月ちょっと事情が変わった
友人と車で伏見稲荷に行ったときのことです 帰りは本町通(伏見街道)を北上して
第三橋を通過したときだった
何か様子が違う・・・・・新しいのだ・・・橋の親柱と欄干の一部が・・・・
このときは友人が一緒だったのでそのまま通過した
石物が新しくなったときは大体交通事故と相場が決まっている
Google mapストリートビューで確認してみると新しくなっている
画像撮影時期は2009年11月となっている
3年も前の画像でもう新しくなっている
3年間で伏見街道は何度も通っているが気が付かなかった
そういえばこのところ北から南に行くことがほとんどだったので気が付かなかったのか
なんか情けない話です
伏見街道は 伏水街道とも呼ばれ五条通を起点として伏見区までの約6kmの道のり
豊国神社・三十三間堂を左に見て 東福寺・伏見稲荷など名所が多い
その街道に架かる橋が4本あり北から伏水街道第一橋・第二・第三と続いて第四は少し離れて
名神高速の南にあります
それでは伏水街道第一橋からスタートして見て行きましょう
第一橋が架かっていた川は今は、暗渠になっています
橋と欄干は橋のあった近所の一橋小学校のグランドに昭和35年から保存されています
初めておじゃましたのが2006年6月 小学校のインターホンを押して見学をお願いした
こういう場合授業中が多く対応してくださる先生が教頭先生や校長先生で恐縮する
一橋小学校の校名は一ノ橋にちなんで付けられた名前なので「ひとつばし」ではなく「いっきょう」と読みます
現在は、少し残念なことになっていますので心配ですが・・・・・
2006年6月 2012年11月
現在は一橋小学校が建て替えで移転・・・発掘調査も終って埋め戻され
工事が再開されたところのようです
またきれいにされて保存されていくと思います・・・・・きっと
位置DATA 34/58/49.9 135/46/26.4 ±5m 日本測地系
伏見街道に戻りますと寶樹寺の角に1本の石碑があります
「伏水街道一之橋旧趾」
一之橋は,伏見街道の今熊野川に架けられた橋で
その川が愛宕郡と紀伊郡との境界ともされていたが
元来は法性寺内の橋であったらしい・・・とのことです
第二橋も当時の位置ではなく東大路と交わる高架下に保存(親柱のみ)されています
位置DATA 34/58/38.5 135/46/24.0 ±5m 日本測地系
元の位置は分かりませんが 4本あるうちの南西・親柱に保存の経緯と世話役さんの名前が刻んである
それによると世話役さんは本町十四丁目の久保庄吉 本町十五丁目の清水茂吉
十四丁目と十五丁目に跨って流れていた川に架かっていたのでしょうか
地図(現在)で見ると東福寺交番と東大路と交わる高架の間になります
当時の地図(明治)をみるとおおよそだが東福寺交番あたりに川が流れていたようです
その他、親柱には「京都府知事 長谷信篤 京都府参事 槙村正直
建築主任権大属 木村・・・」と刻まれています
さて問題の伏水街道第三橋にやって来ました
ここは川が下に流れています
上流には 偃月橋 紅葉時大混雑の通天橋 臥雲橋と東福寺にある
すばらしい名前の付いた橋があります
川の名前は「三ノ橋川」です
位置DATA 34/58/24.7 135/46/24.2 ±5m 日本測地系
車道と歩道と分かれている状態になっていますが
親柱が立っている場所が前の道路の幅のようです
この状態は危険ですね
現地に行って道路状態等みるとだた高圧洗浄器できれいに洗ったと思われるほど
自然に収まっていた
しかし、よく見ると以前とあきらかに「伏水街道第三橋」の書体が異なる
なぜ書体を合わせなかったのか・・・・・・・分かりません
それと新しい親柱の根元の北西の位置にあった 几号刻印(几号水準点)「不」がありません
やはり交通事故(たぶん)で新しく復元されたものです
はっきりしたことは分かりませんでしたがどうも2008年に交通事故にあったようです
今回、東福寺交番で事故があったのか聞いてみましたが・・・「分かりません」とのことでした
なお京都市内に几号刻印「不」された 石碑・橋の親柱・燈籠などがあります
漢字の「不」に似ているので不号水準点ともいわれています
明治初期に内務省が地図つくりを試みていた時の水準点標石
機会があれば、またご紹介させていただきます
第二橋の北西・親柱にも 几号刻印「不」があります
親柱・欄干・取付飾り金具等 すばらしい意匠です
一度、ご覧になってください
さてここから約2.5km南に下がります
七瀬川に架かる伏水街道第四橋に到着です
位置DATA 34/57/01.0 135/46/26.6 ±4m 日本測地系
ここは本来の欄干がありません 親柱のみ今の道幅に合わせてあります
橋の下に注目してみましょう 道第三橋もすばらしいのですが
ここのすばらしさは川の横に道があり完璧にご覧になれます
真円です 完璧な石積みの美です
1873年(明治6年)竣工 石工は内田徳佐エ門
設置されてからそろそろ140年・・・・大先輩(笑)ですね
いや、街道というより「橋」の話です
伏見街道の橋といえは 「ああ、あの四つの橋」ね といわれるくらい
有名で良い感じの橋(親柱)です
皆さん色々なHPでご紹介されているのでUPすることはなかった
しかし、今年の9月ちょっと事情が変わった
友人と車で伏見稲荷に行ったときのことです 帰りは本町通(伏見街道)を北上して
第三橋を通過したときだった
何か様子が違う・・・・・新しいのだ・・・橋の親柱と欄干の一部が・・・・
このときは友人が一緒だったのでそのまま通過した
石物が新しくなったときは大体交通事故と相場が決まっている
Google mapストリートビューで確認してみると新しくなっている
画像撮影時期は2009年11月となっている
3年も前の画像でもう新しくなっている
3年間で伏見街道は何度も通っているが気が付かなかった
そういえばこのところ北から南に行くことがほとんどだったので気が付かなかったのか
なんか情けない話です
伏見街道は 伏水街道とも呼ばれ五条通を起点として伏見区までの約6kmの道のり
豊国神社・三十三間堂を左に見て 東福寺・伏見稲荷など名所が多い
その街道に架かる橋が4本あり北から伏水街道第一橋・第二・第三と続いて第四は少し離れて
名神高速の南にあります
それでは伏水街道第一橋からスタートして見て行きましょう
第一橋が架かっていた川は今は、暗渠になっています
橋と欄干は橋のあった近所の一橋小学校のグランドに昭和35年から保存されています
初めておじゃましたのが2006年6月 小学校のインターホンを押して見学をお願いした
こういう場合授業中が多く対応してくださる先生が教頭先生や校長先生で恐縮する
一橋小学校の校名は一ノ橋にちなんで付けられた名前なので「ひとつばし」ではなく「いっきょう」と読みます
現在は、少し残念なことになっていますので心配ですが・・・・・
2006年6月 2012年11月
現在は一橋小学校が建て替えで移転・・・発掘調査も終って埋め戻され
工事が再開されたところのようです
またきれいにされて保存されていくと思います・・・・・きっと
位置DATA 34/58/49.9 135/46/26.4 ±5m 日本測地系
伏見街道に戻りますと寶樹寺の角に1本の石碑があります
「伏水街道一之橋旧趾」
一之橋は,伏見街道の今熊野川に架けられた橋で
その川が愛宕郡と紀伊郡との境界ともされていたが
元来は法性寺内の橋であったらしい・・・とのことです
第二橋も当時の位置ではなく東大路と交わる高架下に保存(親柱のみ)されています
位置DATA 34/58/38.5 135/46/24.0 ±5m 日本測地系
元の位置は分かりませんが 4本あるうちの南西・親柱に保存の経緯と世話役さんの名前が刻んである
それによると世話役さんは本町十四丁目の久保庄吉 本町十五丁目の清水茂吉
十四丁目と十五丁目に跨って流れていた川に架かっていたのでしょうか
地図(現在)で見ると東福寺交番と東大路と交わる高架の間になります
当時の地図(明治)をみるとおおよそだが東福寺交番あたりに川が流れていたようです
その他、親柱には「京都府知事 長谷信篤 京都府参事 槙村正直
建築主任権大属 木村・・・」と刻まれています
さて問題の伏水街道第三橋にやって来ました
ここは川が下に流れています
上流には 偃月橋 紅葉時大混雑の通天橋 臥雲橋と東福寺にある
すばらしい名前の付いた橋があります
川の名前は「三ノ橋川」です
位置DATA 34/58/24.7 135/46/24.2 ±5m 日本測地系
車道と歩道と分かれている状態になっていますが
親柱が立っている場所が前の道路の幅のようです
この状態は危険ですね
現地に行って道路状態等みるとだた高圧洗浄器できれいに洗ったと思われるほど
自然に収まっていた
しかし、よく見ると以前とあきらかに「伏水街道第三橋」の書体が異なる
なぜ書体を合わせなかったのか・・・・・・・分かりません
それと新しい親柱の根元の北西の位置にあった 几号刻印(几号水準点)「不」がありません
やはり交通事故(たぶん)で新しく復元されたものです
はっきりしたことは分かりませんでしたがどうも2008年に交通事故にあったようです
今回、東福寺交番で事故があったのか聞いてみましたが・・・「分かりません」とのことでした
なお京都市内に几号刻印「不」された 石碑・橋の親柱・燈籠などがあります
漢字の「不」に似ているので不号水準点ともいわれています
明治初期に内務省が地図つくりを試みていた時の水準点標石
機会があれば、またご紹介させていただきます
第二橋の北西・親柱にも 几号刻印「不」があります
親柱・欄干・取付飾り金具等 すばらしい意匠です
一度、ご覧になってください
さてここから約2.5km南に下がります
七瀬川に架かる伏水街道第四橋に到着です
位置DATA 34/57/01.0 135/46/26.6 ±4m 日本測地系
ここは本来の欄干がありません 親柱のみ今の道幅に合わせてあります
橋の下に注目してみましょう 道第三橋もすばらしいのですが
ここのすばらしさは川の横に道があり完璧にご覧になれます
真円です 完璧な石積みの美です
1873年(明治6年)竣工 石工は内田徳佐エ門
設置されてからそろそろ140年・・・・大先輩(笑)ですね
今後ともよろしくお願いします
さて、天満宮の松葉川の件ですが「安心してください 確認しています」
暗渠計画は、昭和15年馬喰町睦会会員の方々です
大宮御所の御用水は、金閣寺奥を源流として北野神社の
東側を経て御所へ・・これが西大宮川とのことです
天満宮は、他におもしろいところがたくさんあります
取材は、終了しているのですがなかなかUPできていません
狛犬一つとってもまだ一ヶ所だけです
http://yukimarukyotosampo.blog.jp/archives/1002090384.html
徐々にUPしていきますので気長にお待ちください
またいろいろ教えてください